見出し画像

黒田杏子俳句鑑賞5 「火と焔」


火の中を焔のすすむ十二月

             黒田杏子『一木一草』*1


2016.12.15「かぎろひを観る会」


「十二月」が使われている作品をと思い、冒頭の句をご紹介します。

ご紹介しますと言いましたものの、まずはですね、17音字中に使われ、ダブってる?とも疑われる「火」と「焔」のことです。この意味、及びその違いを知らねばなりません。

と、ところが、今年、蔵書(というほどの数はありませぬが)の一部を断捨離をした時、分厚い漢和辞典を捨ててしまいました。スマホがあればたいていの漢字は検索できるからと。

しかし、これは今、失敗でした。だって、「火」と「焔」の意味、そしてその違いを、字源から知らないことには、俳句鑑賞できませんよね。

2016.12.15「かぎろひを観る会」


仕方ありませぬので、捨てずにあった広辞苑に依頼します。

「火」:①熱と光とを発して燃えているもの。高温で赤熱したもの。②ほのお。火焔。③おき。炭火。④火打ちの火。きりび。⑤ともしび。灯火。⑥火事。火災。⑦火のように光るもの。⑧おこりたかまる感情。⑨のろし。⑩月経

「焔・炎」:(火群)(ほむら)の意味)①ほのお。②怨み怒りまたは嫉妬で心中の燃えたつこと。

2016.12.15「かぎろひを観る会」


言の葉の意味は長い歴史の中で変遷がありますから、これらを網羅的に記載した広辞苑だと余計解りにくくなりました(笑)。なので、やはり字源を調べます。スマホでトホホ(笑)

「火」:象形。燃え上がるほのおの形にかたどり、「ひ」の意を表す。(「漢字ペディア」出典:角川新字源 改訂新版)

「焔」:ほのお・もえる。(同)

これらを踏まえて、なんとなくですが、「火」は燃え上がる外形(俳句の世界)を表し、一方、「焔」は燃え上がる心の中、さらにその決意(俳句の道)を表わしているような気がしてまいりました。


この解釈を自分の中で補助する、「火」と「焔」に関する、二つの出来事?が思い出されます。

一つは、7年前、奈良県宇陀市の万葉公園の丘で開催された「かぎろひを観る会」に行った時のことです。

(「かぎろひを観る会」とは)
「日の出の1時間ほど前に現れる陽光『かぎろひ』。万葉の歌人柿本人麻呂の秀歌『ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえてかへりみすれば 月かたぶきぬ』が詠まれたとされる旧暦の11月17日に、古を偲び『かぎろひ』の出現を参加者全員で待つイベントです」
(宇陀市観光協会チラシより)

2016.12.15「かぎろひを観る会」


12月15日(新暦)、午前3時頃、万葉公園の広場では火が焚かれていました。山々に囲まれていますから、暗いし、寒い。

肝心の「かぎろひ」は、雲がないことはむろんですが、その他よほどの好条件が揃わないと、なかなかには現われてくれません。

一方、参加者が囲むキャンプファイヤーの火は、どんどん燃え上がり、夜空を焦がすほどです。

この火を見ていて、いつか不思議な感覚に陥りました。火に吸い込まれそう。あるいは、我を忘れそう。体中に火が回る感じです。
火のパワーは凄いですね。この時のことが、いまだに忘れられません。

2022.11.19 広川町


もう一つは、和歌山県に「稲むらの火の町」があるんですね。濱口梧陵(はまぐち ごりょう)生誕の地・広川町です。

「濱口梧陵は広村(現在の広川町)で分家濱口七右衛門の長男として生まれ、12歳の時に本家の養子となり、銚子での家業であるヤマサ醤油の事業を継ぎました。安政元年(1854)、梧陵が広村に帰郷していた時、突如大地震が発生し、紀伊半島一帯を大津波が襲いました。梧陵は、稲むら(ススキという稲束を重ねたもの)に火を放ち、この火を目印に村人を誘導して、全な場所に避難させました。しかし、津波により村には大きな爪あとが残り……(略)」(「稲むらの火の館」パンフより)

2022.11.19「稲むらの火の館」(広川町)


このあと濱口梧陵は、故郷の復興に、身を粉にして尽力します。

こうして現代にまで語り継がれる郷土の偉人となった梧陵は、昭和12年文部省発行、小学校国語読本の教科書(昭和?)に「稲むらの火」として紹介されたとあります。

私が初めて広川町に行ったのは、もう二十年ほど前です。また昨年(2022)も再訪しています。

安政の大津波が襲った伝えられる、今では立派な堤防のある港にて、濱口梧陵の功績に感動した記憶があります。

偉人伝ですので、脚色の有無が全く気にならないとは言えませんが、それを置いといても、稲むらの火を手に、人々の先頭に立つ姿が目に浮かぶようでした。

2022.11.19「稲むらの火の館」(広川町)


以上、長々と、「火」あるいは「焔」の思い出を語ってしまいました。

火の中を焔のすすむ十二月

黒田杏子先生の、このお句は、今日まさに、12月という年の暮れにあって、燃え上がる火の中を、燃え上がる稲むら・焔をかかげ、先頭に立って彼方への一条の道を行かんとする熱い決意が詠まれていると思います。

このお句は昭和63年の作(*2)。黒田杏子先生が主宰として『藍生俳句会』を立ち上げられるのは2年後の平成2年です。


2023.12.12

*1 黒田杏子第3句集『一木一草』 1995初版 俳人協会賞受賞
*2 高田正子『黒田杏子の俳句』 2022初版 P296より


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


前回投稿↓


(固定:投稿ルール)  
最初に一句選のルールといいますか、考え方を整理しておきたいと思います。今後変更しまくるかもですが、まずは、心構えですね。
[心構え五則]
一 一句はその日、(不遜にも)先生から呼びかけられていると感じた作品を選ぶ(ランダムです。したがって、作品の季語と本投稿時の季節が一致しないことがある)。
二 鑑賞する、ということはできの悪い弟子(自分)にはできませんから、先生の句を鏡として自らを映すような文章になると思います。たぶん。
三 投稿頻度は週一ぐらい。文字数は400字以内。(とりあえずスタートします)投稿頻度、文字数とも自由とします。
四 過去撮影を含む自分で撮った写真を一枚数枚貼り付ける。このnoteが見つけてもらいやすいように、あるいは見栄えするように。(マッチングにおいて先生に叱られるかもですが)
五 真面目にやる、急がば回れ、志を高く(先生の教え三訓)
以上
2023.10.16
2023.11.13追記
2023.12.12追記