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津風呂湖百景7 「壬申の乱出陣の鏡湖」



[吉野薄雪]


奈良盆地の南縁山嶺を越えて吉野に入ったら、植林の山々がうっすら雪化粧していました。朝方、ちらついたようです。



さて、「津風呂湖百景」シリーズの記事をスタートしたのは、昨年末の12月24日。もう一年になります。

ところが、今日時点で第6景「池田克己詩碑 小野十三郎書」までしか書けておりません。さぼっております。



…というわけで、今年中に一度、津風呂湖を訪れ、百景シリーズの続きを記事にしたいもの、と思い定め、雨催ではありましたが、今日久々に津風呂湖を散策しました。


[鏡湖]

津風呂湖は、三方を山に囲まれた小盆地であった所に築造されたダム湖です。

季節問わずたいてい風穏やかで、波静かですが、今日はひときわ湖面は鏡のようでありました。


(おいカワウ。ぼーとしとったらあかんぞ。もう歳末やないか!)



[壬申の乱の道]


「ここは古く、日本書紀に見える「津振(ぶり)」の地である。
約1300年前(672年)大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)と、鸕野皇女(うのひめのみこと)(持統天皇)が、吉野離宮(宮滝)から御峠を越えこの地に至り、隊伍を整えて、宇陀から伊賀伊勢へと出陣せられた。世に言う「壬申の乱」の出発地に当る。」
(後掲「春日神社由緒記」現地説明板より)



津風呂ダム建設に伴い旧道は付け替えられていますから、この湖岸の現道が大海人皇子一行出陣の道ではありません。その古道は、たぶんダム湖の底に眠ってあるのでしょう。



[春日神社]


津風呂湖の右岸上流(堰堤から二キロほど歩いた所)の道沿いに「春日神社」があります。


(石段の踏代が狭くて、また濡れてておっかなかった)


「天武天皇ゆかりのこの地に、鎮守の神として、春日神社(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)を造営し、五穀豊穣と村の繁栄を祈願した。
爾来、津風呂は、龍門庄の名邑となり、神の守護のまにまに桃源郷として永く繁栄と平和を続けて来た。

ところが、近時国土総合開発に伴う津風呂ダムが築造されて村は水没することになり、集団移転地たる奈良市津風呂町に昭和36年4月29日春日神社本社は遷祀された。

つづいて祖霊の静かに眠るこのふる里を思慕して止まぬ区民は、昭和38年10月20日、春日神社の旧境内に分社を造営し以てふる里の悠久の繁栄を祈念することになった次第である。
昭和40年10月20日 旧津風呂区民建立」
(「春日神社由緒記」現地説明板より)


区民の思いは啄木の歌に託されている


「ふる里の山にむかひていふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
                           石川啄木


4キロほどの散策中、この一輪だけ見つけました(ほんとにこの一輪だけ!)


カワウさんが一羽、飛び立ちました。


(食事の前か後か。自分は腹減ってる)


   ふる里の鏡湖灯す朝の雪


2024.12.28