紀伊田辺散歩3「街ぶら編」(終章)
田辺には、隣町の白浜と比べると、これといった観光地はありません。←個人の先入観
そんな田辺の街ですが、ぶらぶらと、「田辺駅周辺」→「扇ヶ浜」→「弁慶像(闘鶏神社)」の順に歩いてきました。
結論から先に言いますと、田辺の街は、思いのほか良かったです。
[市勢概要]
田辺市は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがるユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中心に位置しています。また、高品質な梅生産の農業システムが「みなべ・田辺の梅システム」として国際連合食料農業機関の世界農業遺産に認定されています。(「田辺市市勢要覧」より要約)
[歴史]
源義経の片腕である武蔵坊弁慶のふるさととされる、この田辺は熊野水軍の根拠地でもあった。江戸時代には口熊野の中心地として重視され、紀伊徳川家の一族や重臣が田辺に封ぜられた。明治維新の際には版籍奉還によって田辺藩が成立した。後の1871年(明治4年)には、廃藩置県によって田辺藩に代って田辺県が置かれ、1877年(明治10年)に和歌山県に合併された。
(フリー百科事典『ウィキペディア』)
前置きが長くなりました。
さっそく街ぶらにでかけましょう。
[田辺駅周辺]
JR紀伊田辺駅前の「銀座通り」「かまぼこ通り」「屋敷町」「田辺新地」などの地名に、田辺の歴史を感じます。
そして、裏通りに入れば、今も昭和の面影が残っています。
どうして人は三叉路に惹かれるのでしょう?
ワタシだけ?笑
[扇ヶ浜]
駅から南西方向へ20分ほど歩いて行きますと、「扇ヶ浜」に出ます。
太平洋を望む、穏やかで美しい海水浴場。台風の時は知らんけど。
あんまり砂が綺麗なのでどっか(海外)からもってきたのかな?と思ってしまいました。
松林のある景観。なぜなつかしい?
水平線だ!
昔、屋島の合戦の時、熊野水軍がここから船出したそうですよ。
ささ、日帰りですから、いつまでも光のダンスに見とれてないで、次行こう!
[武蔵坊弁慶]
田辺においてなぜ弁慶かというと、弁慶の生地だからです。←諸説あり。
弁慶は熊野三山の別当湛増(たんぞう)の子と伝わっているそうです。
「湛増弁慶の像」
闘鶏神社の境内に建てられています。
碑文には、壇ノ浦に向かって扇ヶ浜から出陣した湛増と弁慶のことが書かれている。
ふと湛増弁慶像に並び立つ大楠を見ると、なんとも不思議な光りに包まれておりました。
←スマホで写真撮ると時々こうなるよね、というのは内緒です。
というわけで、紀伊田辺は良きところでした。
おしまい
※本記事(「街ぶら編」)は、終了した某blogの過去記事(R4年8月)を改稿したものです。
改稿は行いましたが面白ネタの無い記事となりました。深掘りも独自の視点も不十分です。次の記事では改善したいと思います。
紀伊田辺散歩シリーズ↓