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2023「水銀鉱採掘跡・丹生日ノ谷」を再び訪ねて 和歌山別街道を行く③
実は5年前に一度ここ「水銀鉱採掘跡・丹生(にう)日ノ谷」を訪ねているのでした。
当時のブログを読み返しますと、なかなかいいこと書いてあるんですね。自分で言うのもなんなんですが(笑)
5年前のブログの最後に「水銀には鍍金(メッキ)や白粉などの公式使用法のほかに非公式使用法があったようです。一つは堕胎薬として。そのへんを、もっと調べてみたいと思っています」と、たいそうなことを宣言しています。
5年前のブログを以下に貼り付け(リブログ)ました。ぜひよければ(どっちやねん!)お読み下さい。
さて、たいそうな宣言をしておきながら、5年間さぼって何も勉強しておりませんでした。
ここにそのことを懺悔しつつ、したがってこのたびの再訪紀行では、視点を変えて5年の間に現場がどう変化したか、あるいは変化していないか。そのビフォーアフターを写真でご紹介したいと思います。
一応、前と同じ位置から撮った写真を順番に並べます。(2018年のブログを読んでいただけると嬉しいです。)
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ここが丹生水銀鉱道入口です。
広い砂利敷の駐車場になってます。5年前とほぼ変化ありません。
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この看板は、5年経ったにしては、汚れたり破損しておりません。前と同じ印象です。
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こちらの案内板は、だいぶ汚れています。前は新品のようでしたのに。
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こちらの案内板も、かなり汚れています。
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「水銀精錬装置」は、5年の歳月に応じた風格?が出てきていました。
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この案内板は綺麗です。前と同じ。
汚れが進行した他の案内板との差違はなんなんでしょうね?
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いよいよ坑道です。
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「日の谷」は「火の谷」なんですね。歴史の谷でもあります。
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「立入禁止」の看板が新設されていました。
だんだん現場の安全管理がシビアになってきたのでしょう。
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ここが坑道入口です。
5年前には「立入禁止」のチェーンはなく、また左の坑口にも鉄柵はなかったような。
(前も今回も入坑しませんでした。)
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前は坑道の内部を写真を撮ってなかったので比較できませんが、岩肌が新鮮なことに驚きました。どれが辰砂なのかは、わかりません。
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火のように燃える谷であった丹生水銀鉱は「公害問題等から昭和48年に閉山した」ということです。水銀鉱物(辰砂)が枯渇したから閉山したわけではないのですね。「等」には採算の問題が含まれるでしょう。
以上、このたびの再訪では、勉強不足により前回を超えるほどの情報がありません。(5年前の自分に)すまんのう。←懺悔
というわけで、よければ2018年のブログを見てやって下さい。そちらの方が面白いです。自分で言うのもなんなんですが。
ところで、「進化論」を当然のごとく信じ切って生きていますが、ほんとうに人間は時間とともに進化するのでしょうか。
5年の歳月を経て、なんだか自分は退化しているようにも思えます。あるいはぐるぐる回っているだけかも。
でも今が楽しければそれでもいいではないですか! と開き直ったところで、「和歌山別街道を行く③」を終わります。
次回「④」は(まだ続くんかい!)、水銀と深いつながりのありそうな「丹生神宮寺(丹生大師)」と「丹生神社」をご紹介したいと思います。
続く