第一次大極殿院東楼復元整備工事の今
第一次大極殿院復元整備工事が進められています。
興味津々、見てきました。
ここは平城京の中心、平城宮跡です。
平城京は、言わずと知れた奈良の都です。710年、唐の都長安(ちょうあん)を模して造られたそうです。
しかし794年の平安遷都によって、廃都となったこの地はいつしか田地となりました。皮肉なことに、おかげで遺構は高い地下水の下で土に還ることなく眠り続けてきたというわけです。
そして国立奈良文化財研究所(現機構)の発掘調査によっていろいろなことがわかってきました。復元整備できるほどの知見が得られたということなんでしょう。
手前中央↓の門が、大極門(南門)です。南門は、令和4年に復元されました。
南門右の建物が東楼、左が西楼です。現在、復元整備中の東楼は、令和7年完成予定だそうです。東楼が完成すれば、西楼の復元も引き続き行われるようです。
大極殿は、天皇の即位や外国使節の歓迎儀式がおこなわれる、もっとも重要な朝廷の正殿です。その大極殿は、手前中央の南門からまっすぐ奥(北)にあります。後で写真掲げますが、あっと驚く大きさの、なんともでっかい。この大極殿は、平成22年、いち早くに復元(後掲)されていますので、現場に立てばその大きさを実感できます。
↑南門と東楼。東楼は、覆屋の中で、現代の宮大工さんが頑張って作業されておられた。
建築現場は、個人で見るための写真は撮影できますが、不特定多数対象のSNSアップはご遠慮くださいとのことでした。(割愛)
南門です。その奥に小さく見えるのが大極殿です。大極殿が小さく見えるほど宮城が広い(遠い)ということです。
ところで、重厚長大の価値観が、多くの分野で音をたてて崩れた現代ですが、その感覚を取り払って、すなわち奈良時代の人になったつもりで、復元建物を見てみたらどうでしょう。
当時の人々が、激動東アジアにあって、はじめて見る重厚長大のわが宮城に高揚感を抱かないはずがありません。外国使節団も、なかなかやるな、と思ったことでしょう。
↑これが平成22年に復元された大極殿(第一次)です。いくらかかったんでしょうね、工事費(笑)
ふと考えます。宮城を復元整備する目的、意味はなんなんでしょう。
文化財の担当官庁である文化庁(の関係団体?)が監理されてるとはいえ、ほんとうにこのような建築様式であり、色彩でありしたのでしょうか。また、第二次大極殿はどうなんでしょう? 第一次大極殿の復元インパクトが強いゆえをもって、第二次を忘れてしまいそうです。
文化財(平城宮跡)の保存と活用については、いろいろな考え方があると思います。
私はとりあえず、以前の草原のままの平城宮跡が懐かしい。なぜなら、一例をあげれば、好きな野鳥観察ができていたからです。土地利用がなされない状態で、自然がのびのびはびこっていたからです。
とは言え、一方で、平成30年オープンの国営公園(国土交通省)および県営公園に関連する遊歩道や各種施設は、早朝の散歩の快適性を提供し、さらにそこにスターバックスがあるのも魅力の一つかな(笑)
カヨウニカッテな私ですが、東楼復元整備の現場を見て、宮大工の技術伝承が、あらためて日本全体にとってまこと大事だなあと思った次第です。だって、日本中に数多ある古社寺建築の維持には不可欠な技術ですから。
2023.10.4