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土舞台と上野誠氏講演と三輪のまちなみ


<目次>

 はじめに
1 記紀万葉に詠われた磐余の地
  日本芸能のルーツ 伎楽(ぎがく)とは
2 大神神社と三輪まちなみ(一の鳥居から能楽堂まで)
3 上野誠氏講演会(大神神社 三輪会館 能楽堂)
4 文芸評論家・保田與重郎氏氏のこと
 むすび


はじめに

前回記事では、令和6年度土舞台顕彰事業午前の部である土舞台顕彰大祭を現地からリポートしました。


今回記事では、令和6年度土舞台顕彰事業午後の部である上野誠氏講演会をリポートします。

講演会場は、土舞台現地から3キロメートルほど北へいった三輪山麓の「大神神社(おおみわじんじゃ)三輪会館 能楽堂」。
で、私は、お昼をすませて大神神社の駐車場まで、車で移動します。

駐車場に車をとめ、能楽堂まで歩くのですが、すこし寄り道し、神社への参拝及び三輪のまちなみ探訪を、併せてリポートします。


三輪山(土舞台より望む)



1 記紀万葉に詠われた磐余の地

さて、桜井は、古代より磐余(いわれ)の地として、歴史的に古跡等が多いところです。聖徳太子が幼少の頃に居られた上之宮や、父である用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれいけべなみつきのみや)、舒明天皇が創建した百済大寺(吉備池遺跡)などが点在し、記紀万葉に詠われた故地です。

今から1400年前、推古天皇20年の時代(西暦612)、摂政であった聖徳太子が「百済の人である味磨之(みまし)より伝えられた伎楽舞(くれのうたまい)を、桜井の地に少年を集めて習わしむ」と「日本書紀」に記されています。(「土舞台顕彰会」パンフより抜粋)


(「土舞台顕彰会」パンフより)


日本芸能のルーツ 伎楽(ぎがく)とは

「伎楽」とは、「伎楽舞(くれのうたまい)」ともいわれ、中国南部の仏教文化圏であった呉国に由来する仮面楽舞で、そのルーツは西域、ギリシャ、インド、インドシナなど諸説あります。
奈良時代には大仏開眼供養でも上演され、正倉院にはその時使用されたとされる伎楽面が残されています。
行道という一種のパレードと、滑稽味をおびた無言劇で構成され、飛鳥時代から奈良時代に寺院の法会でさかんに上演されましたが、次第に衰退しました。
獅子舞のルーツとなり、猿楽、雅楽にはその多くが取り入れられ、能や狂言にも大きな影響を与えたとされています。
(「土舞台顕彰会」パンフより)


大和猿楽(やまとさるがく)とは、大和国(現在の奈良県)を中心として活躍した猿楽の座。現代の能楽の源流とされる。
古くから興福寺や春日大社などの神事に奉仕することを職務とし、外山(とび)座、坂戸座、円満井(えんまんい)座、結崎(ゆうざき)座の4座が特に知られて、大和四座と称された。
室町時代に入って結崎座の観阿弥・世阿弥父子が将軍家に重んじられて猿楽を現在の能楽とほぼ同等の芸能に発展させている。
以後、豊臣氏・徳川氏にも重んじられ、外山座は宝生座、坂戸座は金剛座、円満井座は金春座、結崎座は観世座となり、元和年間に金剛座から分かれた喜多流を加えた四座一流となった。明治維新後は「座」の形を失ったが諸流派となって現存している。
(Wikipediaより)


要は、桜井の土舞台が、日本芸能発祥の地だということがわかりました。



2 大神神社と三輪まちなみ(一の鳥居から能楽堂まで)


この章は写真ばかりです。
さーっと見ていただいて、三輪のまちの雰囲気を感じてもらえればと思います。


大鳥居
高さ32メートル。耐候性銅板でできている。耐久性は1300年という
大鳥居を過ぎたところ
現在、参道整備工事中です。きっと綺麗になるだろうなあ


大神神社(おおみわじんじゃ)


二の鳥居(一の鳥居は写真撮らなかった=大鳥居とは別)
参道
これは本殿ではありません。御神体は三輪山なので写真の社殿は拝殿です


参拝終えましたので、ここで折り返し、講演会場の能楽堂へ急ぎましょう。
戻りの道は、参道を選ばず、並行する横道を行きます。


二の鳥居近くのそうめん處
(そうめんそうめんそうめん)
桜井名物といえば「みむろもなか」
ふらっとのぞいてみたくなるお店


こんな感じで、すこしの時間でしたが、以上で寄り道を終わります。



3 上野誠氏講演会(大神神社 能楽堂)


上野 誠氏 講演
テーマ
「日本芸能の聖地 土舞台」-その継承-



上野誠先生プロフィール

奈良大学名誉教授。國學院大學教授。
万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した「万葉集」の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。(チラシ抜粋)


講演会場の大神神社 三輪山会館 能楽堂は、令和3年竣工したらしく、まだまっさらで、まこと気持ちよい空間でした。(建物内の写真なし)




上野先生は、たぶん奈良大学教授時代に、奈良のローカルテレビで万葉故地を訪ねるシリーズをやっておられました。
私はそれぐらいしか知りませんでしたが、このたびじかにお話を聴講させていただくと、とてもおもしろかったです。
学者の先生に「話芸うまし」というと大変失礼なことですが、その話し方は芸術であるとさえ思わせるほどで、そしてその芸術性に加えて小ネタの配置が飛び抜けて面白く、またテーマである古典芸能伝承の歴史俯瞰の高みも感じた講演でした。

そんなこんなでしたが、お話の深い内容は、、、忘れました笑
覚えているのは、そーめんの話とか、先生のその仕草とかです。
しかし終わってみれば、まこと上野ワールドに心酔した一時間半でした。




4 文芸評論家・保田與重郎氏のこと

上野先生の講演の中にも登場しましたが、保田與重郎氏のことです。

保田與重郎氏は、桜井出身の文芸評論家です。
同氏は、昭和39年、桜井市大字谷の丘が、日本の芸能発祥の地・土舞台であることを発表されました。


「土舞台顕彰会」パンフより



そういうと、土舞台でもなく、大神神社でもない所、すなわち安倍文殊院の境内に保田與重郎(やすだよじゅうろう)氏の碑があったことを思いだしました。

で、後日、追加の写真撮り目的にだけ、安倍文殊院へ行きました。


「あった、あった!」 2024.11.21撮影(以下同じ)
「保田與重郎先生景仰碑」
安倍文殊院
安倍文殊院の高台から耳成山と二上山を望む


実は一ヶ月前、あるイベント(古道を歩く)に参加したとき、保田與重郎氏の家を訪ねた(正確には外から見ただけ)のでした。
お家には、今は御子孫が住まわれているとのことでした。


保田與重郎氏の家(横大路と多武峰街道の巷付近)



むすび

土舞台といい、伎楽といい、あるいは能といい、さらに上野誠氏講演や保田與重郎氏のこと、大神神社、三輪まちなみ景観など、いくつものテーマ満載となり、なんともまとまりのない記事になってしまいました。
最後まで読んでいただいた方にはまこと退屈な記事であったかもしれないなと思うところもあります。

そうではあるのですが、今後、それぞれのテーマ深掘りのためのスタートとしたい。要は、これから勉強しようという意です。


おわりっ!


2024.11.16(安倍文殊院の写真のみ11.21撮影)
投稿:2024.11.21