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[JR和歌山線各駅散歩/下兵庫駅③] ~隅田八幡神社
今回は、前回「[JR和歌山線各駅散歩/下兵庫駅2]利生護国寺」の続きで、「下兵庫駅3『隅田(すだ)八幡神社』」を訪ねます。
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1 隅田八幡神社
やっぱり!
隅田八幡神社です。
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ちろちろ雪が降ってきた! おおさぶ。
(←あほちゃう? こんな日に散歩なんて!)
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・「隅田八幡神社御由緒」
「神宮皇后が外征後、御帰朝の際、筑紫を発し紀伊の衣奈浦(日高町由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、葷をこの地にとめ滞留なさせ給いし旧跡にして、欽明天皇の詔により貞観年間(859~877)に八幡宮が勧請された。のちにこの地が石清水八幡宮の社領となり、当神社を『隅田の別宮』と称した。
長治2年(1105)隅田荘内の豪族で隅田党(隅田一族)の祖・長(のちの藤原・隅田)忠延が当神社の社務を司る俗別當職となり…
(中略)
…鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も備わり、祭式を厳にして栄えた。
永禄3年(1560)松永弾正久秀の攻略によって社殿が焼失、慶長年間に再建され…(中略)紀州藩主徳川氏が累代厚く崇敬した。
(以下略)」
(「隅田八幡神社御由緒」説明板より)
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隅田八幡宮の主祭神(現在)は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)です。
隅田八幡神社は当初石清水八幡宮の神を勧請したらしく。つまり石清水八幡宮の主祭神は、八幡大神(応神天皇、神功皇后、比売神の総称)ですから、「八幡神社」を名乗れるのでしょう。(←推測)
ところで、隅田八幡神社が世に広く知られるのは、実は、国宝人物画像鏡によるところが大きいと思います。
2 国宝人物画像鏡
この鏡は隅田八幡神社が所蔵する、5世紀から6世紀頃制作の銅鏡で、鏡背の金石文は、日本の古代史、考古学、日本語学における貴重な資料とされ、国宝に指定されている(ウィキペディアさんより)
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・鏡の由緒
「この鏡がいつ頃隅田八幡神社の所蔵するところとなったかは詳らかでない。江戸時代後期に編さんされた『紀伊風土記』および『紀伊国名所図会』にはこの鏡に関する記述があり、相当以前から神宝として隅田八幡神社に伝えられていたことがうかがえる。」(境内の説明板より)
・鏡の年代
「考古学的には、この鏡は舶載の画像鏡を手本として制作されたものと考えられている。
…
原型とされる中国鏡は大阪府八尾市の郡川古墳等で出土しており、それらの古墳が西暦400年代後半から500年前後とみられることから…443年または503年と推定されている」(境内の説明板より)
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この鏡が、正直何をもって国宝なのかわからないが(無知ゆえ)、ともかくもこんなスゴいもの(他人の評価ですが)があったなんて、まったく知らなかった。
こんなことは、よくあることかもしれない。真に価値あるもの、あるいは大切なもの、大事なものは、意外に身近にあったりして…
でも結局は、価値を測る物差し(定規)は、自分固有のものでなければ、ほんとうに大事なもの、すとんと腹に落ちるものを見つけられないと思う。
国宝人物画像鏡が大事なものではないと言っているのではありません。
3 高尾山三王院大髙能寺
歴史ある寺社のご多分にもれず、もとは神宮寺であったが、明治時代の神仏分離で高尾山三王院大髙能寺(だいこうのうじ)となったのである。
なので、髙能寺本堂は、神社の社殿のすぐ隣にある。同じ境内に。
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4 隅田党発祥の地(碑)
隅田党、あるいは隅田一族とは、鎌倉期に活躍する武士団です。
長治2年(1105)隅田荘内の豪族で隅田党(隅田一族)の祖・長(なが)忠延は、隅田八幡神社の俗別当となり、これを契機に一円の庄園管理と神事の権限を握る。この系統が隅田惣領家となって、武士団となっていった。(前掲「隅田八幡神社御由緒」説明板他より)
…ということのようです。
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さてさて、また雪が強くなってきましたよ。
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とっとと帰りませう。
(終章)へつづく
※ヘッダーは楼門の山門(随神門)の天井絵です。
次回は、「[下兵庫駅④(終章)]~郷愁の風景」をリポートします
2025.2.6
投稿:2025.2.13
前回記事(下兵庫駅2)⇩