紀和国境 万葉の里 真土散歩3(終章) まつち集落編
本記事は、紀和国境の橋本市隅田町真土(まつち)シリーズの第三章(終章)で、「真土集落編」になります。
はじめに、古い真土集落の位置ですが、第一章、二章でリポートした飛び越え石から五百メートルほど北、落合川上流右岸になります。
また第二章のスタート地点周辺(真土山尾根筋)には相当数の団地規模の住宅群を見かけましたが、こちらはどうも近代になって造成建築されたような外観ですので、由緒調査の上で、機会があれば別途リポートしたいと思います。
真土集落は、人口は60余人、世帯数30ほど(住宅団地含む?統計年不明)の規模であるようです。地方の町ではよく見かけることですが、ご多聞に漏れず人影なくすこし寂しいかもしれません。
では、さっそく古い真土の集落を東西に延びる道を行くことにいたしませう。
「大和街道」について
紀ノ川に沿って東西に延びるこの道の呼称変遷または別称は、だいたい次のようではないかと理解しています。
南海道(一部) 奈良時代の官道(中央視点)
大和街道 和歌山から奈良へ(和歌山視点)
伊勢街道 伊勢参詣道(伊勢街道と称される道は何本もある)
和歌山街道(参勤交代) ※この呼称が使われるのは奈良・三重の領域だけかもしれない
奈良飛鳥時代よりもさらに古い時代から、この道はあったはずですが、どう呼ばれていたか。あるいは名無しであったか。わかりません。
いずれにしても、やまと(東)とわかやま(西)を結ぶ東西の道は、獣道のように自然に、ここ真土を通っていたでしょう。
1 集落西端から歩きスタート~わかやま(西)からやまと(東)へ
2 集落東端まで来て折り返す~やまと(東)からわかやま(西)へ
3 集落景観
4 落合川
集落内の道を東方面へ突き抜けると、それまで家影に隠れて見えなかった落合川に出ます。
その対岸には思ったより広い水田が展開していました。緩い傾斜の棚田が連たんしています。
この風景を見て、ハッとしました。ここは以前に一度来たこと(歩いたこと)があったからです。
私の中で、点と点がつながりました。
なので、謎が解けた時のように、チョットウレシイ…のでした。
前に来た時のnote↓
おしまい
旅した日:11月1日
※紀ノ川沿いに、およそ60kmを旅し、散歩する(「紀ノ川流域を行く」シリーズ)の次回は、橋本市隅田町の隅田八幡宮を訪ねる予定です。隅田八幡宮には国宝『人物画像鏡』があるそうです。
投稿時期未定。