
山の辺の道 「夜都伎(やつぎ)神社」と東京名物「油そば」
本記事は、病院の帰りに、山の辺の道をピンポイントに歩いたリポートと、はじめて食べた「油そば」の感想になります。
地名と神社名についても考察します。

夜都伎(やつぎ)神社は、真っ赤な鳥居と長い直線の参道が、車を走らせていると県道からもよく見えるので、前々から気になっておりました。
○夜都伎神社の位置
「奈良県天理市乙木(おとぎ)町の北方、集落からやや離れた、宮山(たいこ山ともいう)に鎮座し、俗に春日神社ともいい春日四神を祀る。
(説明板より)

○夜都伎神社の祭神
夜都伎神社に祀られる春日四神とは、春日大社の祭神である以下の四柱の神の総称である。
建御雷神(たけみかづち)
経津主神(ふつぬしのかみ)
天児屋命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ)
武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)は藤原氏(中臣氏)の守護神とされ、天児屋根命と比売神は藤原氏の祖神とされる。
(ウィキペディアより)
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昔、乙木(おとぎ)の地は、興福寺大乗院の荘園であったようです。
興福寺、といえば、春日大社が同時に思い浮かびます。
二つは、藤原氏の氏寺と氏神の関係にありました。ですから、夜都伎神社の御祭神が、春日四神であるのでしょう。
前置きはこのぐらいにして、さっそく夜都伎神社に参拝いたしましょう。



綿花畑を過ぎると、社殿のあるたいこ山(宮山ともいう)に到着です。




山の辺の道ははるけく 野路の上に
乙木の鳥居 朱に立つ見ゆ
東畝
※廣瀬東畝(ひろせとうほ)氏は、明治8年(1875年)生まれの、高知県出身の日本画家。因縁は知らず。









さて、ここで、地名の「乙木(おとぎ)」と『夜都伎(やつぎ)神社』名について考察します。
まず、「乙木(おとぎ)」について、「奈良の地名由来辞典」(池田末則編 東京堂出版)に興味深い文章をみつけました。
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(引用)
「…明日香村の『酒船石』や『岩船石』、葛城の『船宿寺(せんしゅくじ)』、当尾(とおのお)の『岩船寺(がんせんじ)』などの『船』も凹んだ石や地形のタワんだ所であった。
このタワ越え→タワコへ→トウコへ→トウゲが『峠』になった。
奈良県桜井市の『多武峰(トウノミネ)』は『峠の峰』のことで、事実、峠の頂上に談山神社が鎮座している。
…
こうした峠はきびしい地形に位置することから、昔は『小峠』といい、やさしく表現した。
『小』は『小野小町』のように美称のことで、小百合(さゆり)、早苗(さなえ)などのサ(小)である。
つまり、小峠はコトウゲといい、ヲトギに転じ、『乙木(おとぎ)』(天理市)、『御斉(おとぎ)』(三重県)とも書いた。」
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すると、キーワードは、
「タワ」→「タワコヘ」→「トウゲ」→「コトウゲ」→「オトギ」
ですか。
そういえば、乙木町から東へ山を登っていくと、竹之内峠に至る。
むろん今は車が通れる道ではないが、おそらくかつては大和と東国(伊賀、伊勢、美濃方面)を結ぶ主要道の一つではなかったかと。
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(引用)
「『夜都伎(やつぎ)神社』も、江戸中期までは『オトギ神社』と称していたという。
夜都伎は『於都伎(おとぎ)』の誤写で、『夜』と『於』の草書体はまさに酷似する。」
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乙木の地名や『夜都伎神社』名の由来には他説もあるのでしょうが、いまのところ私は、上述の説に合理性あると思っております。
○この日のランチ 東京名物「油そば」
東京へ行ったわけではありません。

油そばは、ラーメンでもなくつけ麺でもなく。
茹でたての麺を油にからめて食べる知る人ぞ知る東京名物だとか。

カロリーはラーメンより少なくて、塩分もラーメンの半分という。ラーメンのスープがないぶん、そうかもな、と思う。







こんどはうなぎでも食べて、じっくり山の辺の道を歩いてみたいと思った。
2024.11.25
投稿11.27
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