見出し画像

飛鳥宮跡(飛鳥京跡第191次調査)現地説明会



「奈良県明日香村にある「飛鳥宮跡」では10年余り前に大型の建物跡が発見されていて、橿原考古学研究所が先月(10月)下旬からその周辺で調査を進めてきました。
その結果、7世紀後半の建物の柱を据えた跡とみられる四角い穴があわせて14基、新たに見つかりました。
柱の穴はすでに見つかっていた建物跡の一部とみられ、建物全体の大きさは東西35.4メートル、南北15メートルとなり、当時の建物としては最大規模だとしています。
この建物について、研究所は『のちの平城宮に設けられていた<内裏>と呼ばれる天皇の私的空間の先駆けだったのではないか』としています。」
(11月27日 NHK 関西 NEWS WEBより)


これまで飛鳥宮最大の建物はエビノコ大殿(だいでん)だと承知していましたが、このたびの発表では、エビノコ大殿を上回る「当時の建物としては最大規模」であることが明らかになったというのです。

現地説明会は、11月30日(土)、12月1日(日)におこなわれるとのことでした。

こりゃ行かねばなるまい、と、11月30日、さっそく行ってきました。


現地説明会は上図の「このへん」で
「このへん」まで農道を歩いていきます
「このへん」に到着です
受付で現地説明会資料いただきました
初日の第1回説明会(午前10時)には、すでに大勢のファンが詰めかけていました
大型建物跡を吉野川分水東部幹線水路(現役)が横切っているので今回調査したのは赤い部分のみだという
抜き取り柱穴が大きいのは、抜き取る時に柱を横倒しするため余掘りしているからだ
写真斜め直線部分は吉野川分水東部幹線水路(現役)
今回調査した建物の年代は、飛鳥浄御原宮(あすかのよみのはらのみや)という
大型建物の比較
飛鳥宮跡=飛鳥岡本宮(舒明天皇)、飛鳥板蓋宮(皇極天皇)、後飛鳥板蓋宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統天皇)


橿原考古学研究所の発掘調査担当された研究員から説明をいただきました。結構詳しかった。30分ぐらい。

このあと、順路に従い、掘られた調査面を見ました。


飛鳥藤原が世界遺産になったらどうなるんだろう(気軽に飛鳥散歩できるのかな?)
飛鳥川の上流から運ばれた石を敷いていると思われるとのこと
見ただけでは何がなんだか~ねえ
四面廂建物
柱抜取穴
田んぼの耕土のすぐ下に遺構面がある
よくぞ残ったと思う
棄てられた都だったから残ったのだと思う
飛鳥時代及び以降には洪水痕跡はない(研究員)
奥のフェンスは吉野川分水の側壁に設置されたもの
吉野は天武・持統天皇には特別の地。その吉野から引水される吉野川分水。感慨深いものがある
白いポールは、むろん柱の位置
柱間3.0m
抜取穴。現代ならクレーンで柱を引っこ抜くが当時は余掘りを大きくして柱を寝さしてから抜く


この大型建物が、天皇の私的空間だったとすると、すぐ隣に飛鳥京苑池がありますから、天皇と周辺のひとたち(ときには異国人迎え)が宴を楽しむにふさわしい立地だったといえるでしょう。

※水の都・飛鳥の水を集めた飛鳥京苑池のことはいつか書きたいと思います。


帰り道は飛鳥寺の西を行く


この飛鳥寺の、さらに西には飛鳥川が流れています。

川の流れはゆるく、川面にカルガモが遊んでいました。


△関係?



2024.11.30
投稿   12.3