「万葉 恋ものがたり」~万葉文化館館蔵品展
奈良県立万葉文化館で、館蔵品展「万葉 恋ものがたり」が開催されているとのことで、行ってきました。
『万葉集』には、男女の恋歌を主とする「相聞(そうもん)」に分類される歌が多くおさめられています。それらの歌の数々は、当時の人々の思いをありありと今に伝え、およそ1300年の時を超えてなお、現代の私たちの心にも響くものがあります。(中略)
本展では、当館コレクションから、恋の歌をモチーフに描かれた「万葉日本画」を中心に展示します。(以下略) ※チラシより
万葉集にも日本画にも素人の自分ですが、わからぬままに鑑賞する数ある歌や画のなかに、なんとなく「お、これは!」と思う作品に出合うことがあります。
今日の展示のなかから、そんな作品を二つ記録しておきます。展示室は写真撮影禁止ですので、日本画はポストカードから転載しました。
さて、
一つ目:題「情(こころ焼く)」
わが情(こころ) 焼くもわれなり
愛(は)しきやし 君に恋ふるも わがこころから
巻十三ー三二七〇・三二七一 作者未詳
恋敵の家を焼き払ってしまいたい、という激情が直截に表現されている。(解説引用)
画家 木村圭吾氏
この女性の目線がややそれていることに、ほっとする。直視されれば、ぶるぶる震えそうにコワい目であるから。
二つ目:題「穂の上に霧らう」
秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らう 朝霞
何処辺(いつへ)の方(かた)に わが恋ひ止まぬ
磐姫皇后(いわのひめのおおきさき) 巻二ー八八
歌意:秋の田の稲穂の上にかかる朝霧のように、わが恋の晴れる方はどことてない。
万葉集でもっとも古い恋の歌。絵にはもだえるような磐姫の姿を描かれる。(解説引用)
画家 仲村進氏
この作品のどこに惹かれたかというと、最初は、解説文の「どことてない」というフレーズに、でした。「どことてない」というのは、どういう意味でしょう?
「どことてない」は、どこか懐かしい言葉であります。ネットで検索すると、「いつ、どのように」「いつになったら」という文言に近いようでした。
「わが恋の晴れる方はどことてない。」
するとこれは倒置法であって、「いつどのようにわが恋は晴れるのか」みたいな意味かもしれません。「解説文」が理解できないのも恥ずかしい限りです(自分)。
ところで、肝心の、この画ですが、黄金色の稲穂の絨毯の上で身もだえする磐姫が描かれています。穏やかで落ち着いた顔つきではありますが、激しい恋情を、エロくもおおらかに表現されている。豊穣の祈りとも見えます。
と、と、と、、、
偶然なんですが、ポストカードを上下逆にすると、別な顔が浮かびあがりました。
ほんとうでしょうか? 私の目がおかしい?
逆転の画の顔は、天上、あるいは中空から下界を見ている目線で、ちょっと冷たく感じます。本来の画では、山脈(やまなみ)に見えていたものが、逆転の画では、棚引く雲のように見えます。
逆転の画の稲穂は、頭髪が逆立っているようで、すなわち激しく高鳴る胸のうち(恋情なのか?そうでない何かなのかは?)を表しているようにも見えます。
表と裏の二つの顔。むろんそれは二つの心なんですが、それを描かれたのかなと思いました。ほんとのところは、わかりません。
なお、申し訳ないですが、画家仲村進氏のプロフィールはいっさい知りません。なので、氏の作風も、まったく承知していません。
以上、気になった二作品の鑑賞文(になってないやろ!)でした。
[おまけ]
飛鳥資料館で、一般から募集した写真の展示会が開催されていました。
写真なのに、テーマは「飛鳥の音」です。
写真集を何冊か出版している友人の作品も展示されているはずでした。
ところが、選外は作品展示のみで氏名は記載されていません。
氏名が記載されるのは入選作品のみとのことで、残念ながら、入選作品の展示コーナーに彼の名前を見つけられませんでした。
という、忙しい日曜でした。
ちゃんちゃん
おしまい
2024.7.28