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コロナ感染隔離中にビデオ観て思ったこと


ひまや…

部屋に閉じこもってコロナ感染4日目。熱に侵され倦怠感に見舞われていたわが身も、だんだんましになってきた。体と脳が正常になってくると、持て余す時間の使い道に困る。ほんとはこれを機会に積読を崩す努力をすれば良いのだが、ついついアマプラやYouTubeを観てばかりいる。

もともと外国映画のロマンスものやアクションが好きなので、そのへんを適当にチョイス。しかしあんまりビリビリとこない。半分もいかないうちに、「はい次行ってみよう!」となってしまうのだった。

そんなこんなしてるうち、YouTubeの落語に行き当たった。昨日のことである。そして今日になって、昭和を代表する二人の大歌手のビデオを観た。

まず落語。そもそもお笑いといえば、物心ついたついたときから、吉本新喜劇であり、大阪漫才であったので、東京が優勢らしい落語が好きではなかった。というより、馴染みがなかった。笑点などのテレビ演芸番組も、あの笑いのとり方がイマイチだった。

それが今朝、たまたま観た落語が、いやはや、おもしろかったのだ。いやおもしろいと言っては顰蹙を買う。なぜならそれは、桂歌丸さん、六代目円楽さんの追悼ビデオだったから。笑点でチラ見していた彼らの印象とはまるで違った。真面目に笑える。熱演。落語に対する真摯な向き合い方を感じた。お二人とも落語芸術ともいえる域に入っている。サービス精神の塊の歌丸さん。一方、円楽さんは、悪役があるとき善なる横顔を一瞬見せて好感度爆上げするタイプ。お二人ともお亡くなりになったが。彼らの後に続く落語家がいるのかどうか。それを発見するのも楽しいことだと思えた。

次に大歌手。その一人(二人?)がザ•ピーナッツ。もう一人は、これも追悼ビデオだったが、三橋美智也。ザ•ピーナッツの歌声のハーモニーはまっこと素晴らしいし、三橋美智也の高音は本邦唯一無比である。三橋美智也はレコードを100000000枚売り上げたという。さように名声手に入れた二人なのであるが、そこに時代背景があり、生い立ちや生きざまも加わって大歌手であらしめたのではないか。

以上、これら数本のビデオの内容をさらに詳しく書き綴るには、まだ気力が回復してないので、筆抜き(手抜き)させていただく。

さて、本文の結論である。
私はこれまで地理的空間に遊んできた。つまり、あちこち行くこと、旅することだ。肉体的に可能である限り、これからもそれは変わらない。
このたび自室に籠る中で映像世界に耽溺し、このような知的空間(適切な表現かどうかは?)に遊ぶことも、ハラハラ、ドキドキ、楽しいな、ということを「再認識」した。実際、追悼ビデオを観ていて、はからずも涙ぐんでしまった。一度ならず二度も三度もだ。映像といえど、体温が伝わるほどリアルだった。
いずれ、というか近いうちに仕事をやめる。そうすると、毎日が今回のようなひま生活に入る。
その日に備え、地理的空間と知的空間の融合を目指したい。こんなことを思いながら、コロナ隔離中の残る数日も、動画ばっか観続けるのかな。

2024.6.26