室戸紀行⑬(終章) DAY3-2 「重伝建 吉良川のまちなみ」
前回記事では、室戸ユネスコ世界ジオパークの核心地(観光拠点でもある)ともいえる室戸岬の乱礁遊歩道を徘徊し、大地の躍動を実感しました。
あとは「家にもう帰ろ」であります。
三日目にもなりますし、少しさみしいし…
それで、帰りのルートを検討した結果、同じ道を戻るのもなんなんで、室戸半島を横断することにしました。
そのため、室戸岬から半島の西海岸を北上し、奈半利(なはり)(安芸郡奈半利町)という所から右折、つまり山越えすることにしました。
半島の背骨的な山を越えるので剣道が予想されますが、一応国道(493号線)となっているので、ま、なんとか行けるか、と明るく考えました。(←よい子はマネしてはいけません)
そうすると、奈半利へ行く途上に「吉良川(きらがわ)」という町(室戸市)があるではありませんか。どうも重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)らしいのです。
高知県に重伝建?
がぜん興味わくじゃないですか。立ち寄らずにおれるわけないじゃないですか。
…というわけで、室戸岬からまず吉良川町に移動しました。
重要伝統的建造物群保存地区
吉良町のまちなみ
平成9年高知県では初めて重伝建に選定される。
伝統的な建築様式が見られる。
さまざまな形の「いしぐろ」は、暴風雨を防ぐ機能だけでなくデザイン性に優れている。(説明板抜粋)
それでは駐車場を起点に、重伝建のまちなみを見学しましょう。
ここから「いしぐろ」が見れます。
「いしぐろ」と呼ばれる民家の石垣塀。
石は、浜の石や河原石がほとんどとか。
丸のままや半割りで、積み方も家によって様々。
そもそも吉良川町の生業を知りません。
海沿いなので漁業中心の町かと思っておりましたら、どうも違うんですね。
「吉良川町は、藩政時代より林業が盛んで、明治期になると木炭の生産が始まりました。大正年間にさらに製炭技術が向上し、良質な木炭(備長炭)を産出したことから、これらを扱う商家や廻船問屋が隆盛を誇り、その繁栄ぶりを表す歴史的町並みが重伝建に選定され、今もその面影を残しています。」(室戸市発行パンフ)
そうなんですか。土佐備長炭の町だったのですか。(生産を担っていたのか、問屋が集中していたのか、備長炭積出港だったのか等々、そこの学びはこれからです。すまん)
備長炭といえば紀州備長炭が有名ですが、土佐備長炭も世に知られた木炭です。
ちなみに高知県の森林率は日本一(84%)だそうです。和歌山県は77%。
山の生業が共通する紀伊と土佐。たぶん二つの森林国には交流の歴史があったでしょう。地理的にも海の道で繋がってますし。
ところで、紀伊半島の山、備長炭といえば宇江敏勝氏の著書『炭焼日記』を思いだします。
氏の著書(多数あり)を愛読書としておりますが、そこに書かれる山の生活に感動し、それへのリスペクトが、実は私の紀伊半島愛を形成しています。
※宇江敏勝 三重県尾鷲市に生まれる。紀伊半島の山中で林業に従事するかたわら、文学を学ぶ。エッセイスト。
そんなわけで、紀伊半島にかつてあった山の炭焼き生活が、ここ室戸半島にもあったであろうことを想像し、あらためて目からウロコでした。
次来る時は、室戸の山中にその痕跡を訪ねたいものだとも思いました。
こんな感じで重伝建吉良川のまちなみの学びを終えました。
このあと山越え(国道493号線)、海越え(フェリー)て、家まで帰ったのですが、なかなかに厳しい行程でした。
帰宅したのは午前0時を過ぎていました。だから四日目になります。
こうして無事に帰れたことに感謝しつつ、この室戸紀行をおしまいにします。
長々とお付き合いいただき厚く感謝申し上げます。
次、どこ行こっかな。
完
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