大阪府立近つ飛鳥博物館
「飛鳥」といえば、奈良県明日香村の、大和の飛鳥が知られています。唯一そこだけ~、といってもいいほど有名です。
この大和飛鳥に華ひらく日本創成の飛鳥時代は、592年、推古天皇の豊浦宮に始まり、710年平城遷都までの118年間とされています。たしかに難波宮(645年~654年)と近江大津宮(667〜672)時代を例外に、政治の中心地は大和飛鳥及びその周辺でした。
そんな大和飛鳥ですが、実はもう一つ飛鳥が存在します。それが大阪府羽曳野市を中心とする「近つ飛鳥」です。二上山西麓エリアです。河内飛鳥ですね。(※注1)
河内飛鳥を、なぜ「近つ飛鳥」と呼ぶのか?
それは、難波宮から見て河内の飛鳥(羽曳野市周辺)が距離的に近いから。必然、大和の飛鳥(明日香村)は遠いので、「遠つ飛鳥」といいいます。(※注2)
なぜ難波宮から見てなのか、は不勉強です。名付けされた時代が、難波宮が置かれていた頃だからなのでしょうか。あるいは難波宮にかかわらず、飛鳥時代の海の玄関口は難波津でしたから、そこから見て近い、遠い、なのか。
いずれにしても、河内にもう一つの飛鳥があるということです。
では、近つ飛鳥の歴史上の意味とは何か?
羽曳野市(藤井寺市含む)および隣の太子町には、応神天皇陵を盟主とする古市古墳群や、飛鳥時代の歴代天皇の御陵が集中しています。こうしたことから古墳造営の背景にある統治機構や社会構造、すなわち古代史を紐解く核心地の一つなのです。
そんな現代の近つ飛鳥に、緑に囲まれたコンクリート打ちっぱなしの建築物「大阪府立近つ飛鳥博物館」が異彩を放っています。前方後円墳を彷彿とさせる建物は、安藤忠男氏の設計になります。
(※注1)アスカ(飛鳥)の地名は、全国に数十ヵ所もあるようです。近畿地方だけでも十数ヵ所を数えるという。
そもそもが、アスカとは、安宿であり、暮らしやすい夢の場所(まぼろしの楽園)を意味するといわれています。「スカ」は水に関係し、砂州のこととも。(「古代を考える 河内飛鳥」門脇禎二・水野正好編集 吉川弘文館)
(※注2)記事全体に個人の見解を含みます。また諸説ある事項は網羅できていません。ご指摘いただければ有りがたいです。
(noteの声)
「前置きが長過ぎ!!!」
はい。
ではさっそく、写真多めで、ご紹介します。
常設展示のテーマは三つ。
1 近つ飛鳥と国際交流
2 日本古代国家の源流
3 現代科学と文化遺産
博物館に隣接して、近つ飛鳥風土記の丘があります。群集墳「一須賀古墳群」を保存(保存対象は102基)し、そこを学びの場とする史跡公園です。
29ヘクタールの園内には梅や桜が植えてあり、秋には紅葉が楽しめます。大阪平野の眺望も良く、絶好の散策コースです。
なわけで、博物館に寄れば、風土記の丘にも足を運びます。
今回は次の予定があったし、何より残暑で汗たらたらしてまでは行きたくありませんでしたので、カット。
こちらの紹介もおいおいに、と思っております。
本日は、近つ飛鳥博物館のプロローグということで。
おしまい
2024.8.24
投稿 2024.8.26