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2025やりたいことやること10


① 旅(車中泊、鉄道)(継続)
見知らぬ土地を訪れ、にっぽんの自然を感じたい。人ともふれあいたい。旅の果てにあるものにワクワクしたい。

徳島県日和佐海岸



② ブログ(継続)
主にnoteになると思う。簡単なホームページを立ち上げるのも面白いが、たぶんそこまではよおしないだろう。

(「note公式」より)


③ 創作(継続)
ここ数年さぼっている小説への、創作意欲が少し戻ってきた。俳句も、むろん継続する。

余談ですが、小説と俳句。私はどちらかといえば散文派(小説)である。韻文(俳句)に不可欠な直観力がイマイチだから。詩人にはなれないと自覚。

奥野忠昭氏『創作入門』。小説は誰でも書けるが面白いものは誰でも書けるとはいえない



④ 飛鳥検定(継続)
去年は飛鳥検定(飛鳥藤原まるご博物館)の中級検定に失敗した。今年、再チャレンジだ。

中級編の検定結果はこの1月末公表されるが自分で答え合わせしたら合格点に至らなかった


⑤まなび(継続)
まなびの対象はたくさんあって困る。いや、たくさんあるのが、ありがたいと言うべきか。

たくさんの一例をあげる。
まず、昔からの考古学ファンだ。歴史も民俗学も好き。美術館にも行きたい。写真の腕も磨きたい。等々。

しかし本格的に学校で学ぶとかはしない。もう基礎からまなぶ時間(若さ)がないから。

そのかわり、今の時代、アンテナを高くしていれば、行政や大学などが開催するさまざまな講演会、シンポジウム、また博物館や資料館の特別展(展示解説含む)など、まなぶ機会の情報をキャッチできる。奈良県の文化財発掘調査の現説などは、他府県よりは数多いかもしれないし。

機会を逃さず、かつ無理せずにまなびを続けたい。

埋蔵文化財の発掘調査は今も続く(写真は去年12月の飛鳥京での現説)



⑥ジム通い(継続)
去年から通いはじめたスポーツクラブ(ジム)。その効果がじわじわでてきている。

長時間歩いた時(このまえ山の辺の道を21キロ歩いた)の疲れが前ほどではないし、また階段や歩道でころびそうになることもなくなった。(よっぽど老人だったんかい!?)

クラブに月半分通えば(10~15回ぐらい)、1回あたり300円に満たぬので、お安い。だからこれはがんばんって継続したい。

「2025やりたいこと10」の遂行のためにも基礎体力は必要だ。

(スポーツクラブの公式Webからお借りしました)



⑦ バードウオッチング(再開)
一時期まこと熱心に野鳥観察会に参加していた。双眼鏡から除く世界は非日常の別世界だった。野鳥観察を通じて、自然の息吹を感じた。おおげさに言えば、これが地球の真実なのかと感激した。

やや遅れて妻も野鳥観察にハマりし、じつはこれが二人の共通の趣味になって、同志意識がより高まるという効用もあった。倦怠夫婦がその関係をリフレッシュしたのである。

しかしいつも行く野鳥観察地に槌音が響き、それに伴い観察会も低調になり、また自分の仕事も忙しくなった。いつしか双眼鏡を手にすることが、年に数回という状況になった。

ン十年経って、仕事をやめた今は、野鳥観察を再開できる時間の余裕がある。はず。

なので、できれば一眼レフの望遠レンズを手に入れ、森の野鳥の囀りを撮りたい。いきものの目になって覗く自然界は、グレートネイチャーであることを、再発見できるだろう。

ヨシキリの楽園(池)。グレートネイチャーである


⑧ 西国33ヵ所(再開)
西国33ヵ所霊場巡りを始めたのは、母が亡くなったことがきっかけである。専ら日帰りではあったが、けっこう集中的に霊場を巡った。ので、私が30歳になる頃には、数カ寺を残して満願できるまでになった。

そんなとき、巡礼満願に至れば自分が早死にしちゃうよ、という声を聴き、また仕事で関東へ転居したことも大きな要因となって、以来、関西に舞い戻った今も、放念状態である。いつか終活として再開するときがくるだろうとは思いつつ。

で、仕事をやめた今、きっとその時が来たのだ。そろそろ西国33ヵ所を満願をしてもいいのだと。

「新西国霊場宝印帳」を忘れていた。新西国も満願に至っていない。「淡路島十三仏御影」は、母が死んだ時、淡路島にいて、十三仏も巡っていたのだ


⑨ 土木遺産探訪(ほぼ新規)
以下は、個人の意見です。さまざまな見方、評価があると思います。ただここでは議論しませんのでご容赦下さい。

私は日本の国土創造は土木技術にあると思っている。土木インフラが全くない日本の国土・社会を想像してみれば、およそ納得できるのではないか。

歴史を振り返ってみよう。

たとえば、古墳時代の河内大開発(応神天皇)、また江戸時代の新田拡大、さらに戦後日本の食料増産のための基盤整備。これらのインフラが日本の発展の礎となってきたのだと思う。民間の手になるため池や橋や、港湾の整備も、基礎的食料の生産を安定化させたり流通変革をもたらしたであろう。

ことほどさように、これまでの土木事業は時の為政者、地域の偉人の社会貢献そのものだったと思うのである。

今、社会の目は、近代建設業に対し大変厳しい。仕事がきついというだけでなく、業そのものに対する社会的評価が低いと感じる。このような原因は、土木という生業が、戦後資本主義経済の中で株式会社化(経済至上主義)したことに関係しているのかしていないのか。

もしその仕組みが要因だとすれば、では、もとにもどせ。すべて税金で行う直轄の国家事業でいいではないか、という考え方もある。が、単純にそれでいいとも思えないとろこが悩ましい。

こういった問題の答えがあるかも知れないから…と言えばかっこよすぎるが、ともかくまずは日本の土木資産(主に関西)を探訪し、その歴史を「知る」ことを始めたいと思う。そこに何があるのかはわからない。

山峡のダム。水道の水も、田んぼの水も、電気もここでつくられている



⑩ 終活(ぼちぼち)
周りにあまり迷惑かけないようにしておきたいということ。

持病として白内障予備軍(目医者さんに通っている)、じもち、アレルギー性鼻炎があるが、いずれもさほど深刻ではない。がんの再発がいつくるかということが懸念されるが、いまのところ特に問題なし。

そうした中で、ぼちぼちには終活もしないとあかんなあと考えた次第。

本日5のつく日でした。きつねうどん半額(235円)なんです。節約も終活笑


以上、いろいろ初夢の妄想を書きましたが、言語化することで実現に近づくということもありますので。


2025.1.5


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