知ってるようで知らんかった~伊勢紀行1
伊勢国に二見浦というところあり。そこに奇岩・夫婦岩が立っている。
夫婦岩の大きさは、男岩高さ 9m、女岩高さ 4m。
二つの岩を結ぶ大注連縄は長さ 35mあり、男岩に 16m、女岩に10m巻かれている。その間 9mある。
夫婦岩の間からの日の出は、5月から7月頃が見ごろ。(現地説明板より)
夫婦岩の日の出の景は、日本中みんなとまでは言えませんが、多くの人が(観光案内の写真などで)知っていると思います。また一度は訪れたことのある人も大勢おられるでしょう。
私もこれまで何度か行きました。日の出は拝んでませんが、でもまあ、「写真で見るとおりだなあ」と一見してほぼ満足してました。
今回も、特に二見浦・夫婦岩が目的ではなく、しかし喉が渇くような気持ちで、伊勢湾の海を見に来たのでした。
そんな海が目的だけの物見遊山でしたが、二見浦・夫婦岩において興味深い知見を二つ得ましたので、ご紹介します。
読んでいただいて、あとから「そんなん知ってたよう!」、と言う方はすっ飛ばして下さい。(無理?笑)
[興玉神石(おきたましんせき)]
明治43年、元興玉社と元三宮社が合祀され、神社名が「二見興玉社」に改められたという。
二つの社の「元(もと)」とは、一つは、天乃岩戸内の元三宮社(宇迦御魂大神)。
もう一つは、沖合700メートルにある興玉神石(後述)に由来する神社で、夫婦岩(立石)前に造営された興玉社。
両社とも、伊勢神宮(内宮)との繋がり含め、さらに古い由緒があるようですが、正確な詳細を知らないこと、また本題でないことから割愛します。
さて、さっそく夫婦岩にお参りしましょう。
入口の標石。
ここまで来てしまった車はUターンします。あとは海岸べりの参道を歩くのです。
「興玉神石」とは?
どうらや沖合にある岩?岩礁?を指すようだということがわかりました。これまで説明板など読んでいなかったのですね。
夫婦岩は、それ自体が神石なんだろうと思い込んでいたところ、実は興玉神石を遥拝する鳥居だったのです。
初富士の鳥居ともなる夫婦岩 誓子
山口誓子は、「天狼」主宰の俳人。(1994死去)
こっちへ吟遊されたんですね。
「二見浦の夫婦岩は、沖の海底にまします興玉の神の鳥居である。
昭和六十二年の正月、興玉神社に初詣をしたとき、宮司様から『今朝、夫婦岩の間に富士山が見えました』と聞いたので、それがただちに句になった。」
と書いてあります。
現在、興玉神石を、見ることはありません。江戸時代の地震で海中に没してしまったからです。
1960年のチリ大地震の津波が引いたときに、一時的に姿を現わしたと言いますが。
その大きさは、東西216m、南北108mあるという。今では岩礁なんですかね。
ちなみに「興玉」とは、海中の神霊を意味する「澳魂(おきたま)」を意味するとか。
今回、夫婦岩を鳥居として、沖合の興玉神石も、遠きの富士山も見ること能わずでしたが、今まで知らんかったこと、一つ知りました。
[地質・岩石の不思議]
産総研の「地質ナビ」によると、夫婦岩付近は緑色をしています。
この緑色は神前岬、飛島、浮島、牛島、答志島へと線状に連続しています。
枠外のナビを見ていませんが、神島を経て伊良湖岬まで繋がっているのかもしれません。
夫婦岩付近の緑色で表現された岩相は「苦鉄質片岩」というのだそうで、変成作用を受けている緑泥石帯です。
緑泥の片岩ということですから、もとは海底の泥が固まった堆積岩なのでしょう。ですから、板状に剥がれやすく、いわゆる「青石」なんだと思います。
実はこの付近をちょうど中央構造線が東西に走っています。
著作権の関係で詳しいマップは使用控えますが、だいたいのイメージ把握のため、大鹿村中央構造線博物館(長野県)のホームページからお借りして絵を貼っておきます。
中央構造線の外帯(南側)には、三波川帯(さんばがわたい)という地層が連続しています。三波川帯は、大きな力によって変成作用を受けている地層だといわれています。夫婦岩の緑泥片岩がこれに該当するのでしょう。
要は何が言いたいかと言いますと、たまたまなのかもしれませんが、興玉神石、夫婦岩、あるいは天之岩戸、そして伊勢神宮内宮。これらは中央構造線上(付近)にある、という事実です。
中央構造線という大断層を直観するとき、古の人が、地球内部の大きな力を感じ、畏れ、そこに神霊あるを信じるのは、自然なことかもしれません。
まして、東の海より昇る太陽(神)とセットになれば、これ以上のパワースポットはないでしょう。
そんなこんなで、今まで知らんかったこと、また一つ知りました。
[おまけ]
二見興玉神社には蛙の置物がいたるところにあります。
いろいろな説があるようですが、個人的には、単純に「無事カエル」でいいんじゃないでしょうか。
「伊勢志摩スカイライン編」へつづく(予定)
2024.8.18