晩秋の吉野山2 金峯山寺蔵王堂
前回記事は、吉野山の「下千本(しもせんぼん)」界隈散策のリポートでした。
今回記事は、「晩秋の吉野山2 金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂」と題し、「金峯山寺蔵王堂・日本最大秘仏本尊特別ご開帳」参拝及びその界隈のリポートです。
今回歩いた(参拝)順番は、蔵王権現の在わします蔵王堂をメインに以下のとおりです。
1 二王門(仁王門)
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2 前庭(大護摩供道場、四本桜、村上義光公忠死之所、)
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3 蔵王堂、本地堂
※本地堂(本地仏安置)では「墨跡展」開催中でした
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4 天満宮(威徳天満宮)
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5 南朝宮跡(ご休憩所、南朝妙法殿、仏舎利宝殿、不動窟)
1 二王門(仁王門)
ここから前回記事のつづきです。
二王門の保存修理工事の概要
2018(平成30) 調査工事・耐震診断
2021(令和3) 仮設 素屋根(覆屋)建設
2022~23(令和4-5) 解体工事
2023~24(令和5-6) 発掘調査 ※今夏8月終了(橿原考古学研究所)
2024(令和6) 耐震補強・設計 ⇐今ココ
2025(令和7) 基礎工事(土台)
2025~27(令和7-9) 組立工事
2027(令和9) 瓦葺工事、仮設 素屋根解体撤去、諸工事
2028(令和10) 竣工予定
本体工事期間 2020(令和2年度)~2028(令和10年度)
事業費 2,000,000,000円←(「0」の数多くてわからんわ!)
二王門の土台部分の発掘調査の結果、礎石には寺院ではほとんど見られない片岩という石が使われていることなどが判明したという。
近くで採れる石を利用したからでしょうか。
いよいよ蔵王堂へ。
二王門からは入れませんので、二王門の東側の道へと迂回します。
2 前庭(村上義光公忠死之所、四本桜)
蔵王堂の南側へ回ってきました。
3 蔵王堂、本地堂
蔵王権現さんの拝観は何年ぶりでしょう。
これまでは、拝観料要るしするので、蔵王堂に参拝しても拝観まではしないことがつづいてきましたが、この前kumokichiさんのnote見て、あらためてお目にかかりたいなあと思ったのでした。
ここから蔵王堂内に入ります。拝観料1600円。
むろん写真撮影できませんので、青の蔵王権現像のポスターを貼っておきます。
中央 釈迦如来の権現 背丈7.28メートル
右 千手観音菩薩の権現 背丈6.15メートル
左 弥勒菩薩の権現 背丈5.92メートル
今回、堂内一巡し、近くからじっくり拝観させていただきました。
蔵王権現像のほか、その他の仏像・尊像あるいは寺宝の数々に、あらためてびっくりしました。
実際に吉野山に来られて拝観されることをお勧めします。
4 天満宮(威徳天満宮)
蔵王堂の境内の一角(南西側)に、「威徳天満宮」があります。
威徳天満宮由緒記(要約)
千年の昔。
大峯山中で仮死した僧・日蔵がいた。
その日蔵が冥土でさまよう後醍醐天皇と出会う。
後醍醐天皇は、菅原道真公を太宰府に流した罪によって死後の苦しみを受けているという。
そして、日蔵に向かって「生き返って道真の霊をまつって欲しい」と。
このあと、台地の西側の階段をくだり、「吉野朝宮跡」へ行きました。
5 南朝宮跡(ご休憩所、南朝妙法殿、仏舎利宝殿、不動窟)
かつての南朝(吉野朝廷)・後醍醐天皇の皇居跡で、「行宮」であり「御座所」であった。
元は実城寺というお寺だったという。後醍醐天皇は寺号を改名し金輪王寺とした。
この場所の発掘調査によって皇居跡が確認されたのかどうかを知りませんが、仮に科学的証拠がなくても、南朝の「行宮」あるいは「御座所」が、この吉野にあったことは史実ですから、個人の歴史の楽しみ方としては、現場に立って妄想すればよいと思っています。
事実でなくても今日まで伝えられてきたことは真実で。
今回記事は以上です。
次回(終章)は、「晩秋の吉野山3(終章)吉野神宮」をリポートします。
吉野神宮は、明治に入って後醍醐天皇をご祭神として創立された(昭和7年竣工)という。その場所は、吉野山メインルートの入口になります。
しかしながら、新しく車道が開通すると、また観光拠点の蔵王堂からだいぶの距離もあって、今は参拝者も観光客も、そう多くはないようです。
そんな吉野神宮に何があるのでしょう…?
つづく。
2024.11.9(訪れた日2024.11.6)