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古代の官道 横大路の今を歩く①~磐余橋から中ツ道まで


・はじめに

横大路(よこおおじ)は、難波大道(なにわだいどう)、竹内街道(たけのうちかいどう)とともに、推古天皇21年(613)に難波津と飛鳥・小墾田宮をむすぶ「大道」「官道」として整備された古代の道です。

このうち、奈良盆地を真東西に延びる横大路の今を、飛鳥に近い東端から竹内街道に接続する西端まで歩きます。約13キロメートルです。

「竹内街道・横大路」~難波から飛鳥へ、飛鳥から難波へとつづく道


横大路の東端は、桜井市谷の、寺川に架かる小西橋(磐余橋)です。ここから西へが初瀬街道(伊勢街道)となります。

西端は、長尾神社(葛城市長尾)近くの犬飼という所で、ここで竹内街道に接続します。

今回の記事では、このうち磐余橋から中ツ道までをリポートします。約3キロメートルのウォーキングです。



横大路は、東西にまっすぐ約13キロメートルある


・小西橋(磐余橋)、上ツ道


横大路東端の小西橋は、近鉄・JR桜井駅の南西すぐ(約300メートル)の所にあります。
橋の東詰で、南北に延びる国道169号線(上ツ道)と交差しています。

銘板はまだ「小西橋」のままですが、現在の地図では磐余(いわれ)橋と書いてあります。いつ橋名変更が行われたのかは知らんのですよ。


寺川に架かる小西橋(磐余橋)
(寺川上流から磐余橋を見る)
(寺川下流から磐余橋を見る)
磐余橋東詰
「仁王堂」といふ
小西橋西詰
路傍の石仏に見送られ…


さあ、出発です!


横大路(西から東を見る)
今は狭い道ですが、古代はこの何倍も広い(一部発掘調査で24メートル幅が確認されている)
これから先も、小さな祠が各所に残る
(湯たんぽ?)
横大路と国道169号線の交差点
お寿司屋さん
(やってるのかな?)
戒重区会所
区の会所はお寺さんでもあるみたい
横大路を横切る小川(用排水路)
(おいなんだよ! 見るな)
やってますね(野球少年)
道と川が並行する。川は道路側溝ではなく用水排水路でしょう。水なしで人間の活動はありませぬ
無住の様子の古い家も散見されますが、いっぽう新しい家も建ち始めている
川は農業用排水であり生活用排水であり環境用水であった(比重は変っても今も)
いいですねこのカーブ
(いつまでも残したい庶民信仰)
古い家が点在してあります
(毎日ごくろうさまです!)
おっ、踏切。JR桜井まほろば線です
白漆喰は綺麗で…財力ありそ
虫籠窓から覗かるる
こんな道が延々続く


・阿弥陀寺地蔵堂


阿弥陀さんと地蔵さん。御利益お願いします!
阿弥陀寺地蔵堂
(なにか?)
「延命子安」に庶民の祈りが…


・三柱神社


三柱神社(神社跡?)
よくわかりませんが何か在ったんでしょうね


  • 三輪神社


神社の鳥居が見えます。横大路は左の道です
「三輪神社」といふ
三輪山山麓の「大神(おおみわ)神社」とは別もののようです
でも御祭神は「大物主櫛瓺命」ですので三輪山を遙拝する所だったのでしょうか
鳥居脇にケヤキの古木あり
(なんかいたましいのう)
(横大路を往来する何千万人の庶民を見続けてきたんでしょうね)
「堂の礎石」とありますがまるっちいのでどうでしょう? 磐座(いわくら)かも


・中ツ道、地蔵尊、面堂礎石


横大路と中ツ道の交差点。桜井市と橿原市の境界になっています
ちいさな地蔵堂(「子安子育地蔵尊(こやすこそだてじぞうそん)」。左の南北道路が中ツ道です
地蔵堂の裏に礎石あり。「面堂(めんどう)の礎石」といふ
古代寺院があったか(花崗岩)
「面堂」について「大和旧跡幽考」に記されているらしいが詳らかでないという


今回はここまでです。


「横大路の今を歩く②」へつづく(何回シリーズになるか予定は未定です)

※写真筆者撮影(2025.1.13)
※参考文献
・『歴史の道を行く』和田萃著 橿原市企画政策課
・「竹内街道・横大路~難波から飛鳥へ日本最古の官道『大道』~活性化実行委員会」ホームページ