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シルクロード果つる新沢千塚古墳群


イコハクを出ると、低い丘陵に向けて歩道が延びています。歩道は、今も約600基が残る、新沢千塚(にいさわせんづか)古墳群につながっています。

現在、国史跡として公園化。おびただしい数の土饅頭の丘を気持ちよく見て回れます。(古墳の中の人はどう思ってるのかな?)

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このような新沢千塚古墳群の歴史ですが、4世紀の終わり頃から約200年間つくられ続けたそうです。今から1600年前ですね。

特に多く造営されたのは、5世紀後半から6世紀前半にかかけての約100年間だという。(橿原市HPより)


新沢千塚古墳は煙の出ている煙突(ゴミ焼却場)の辺り。畝傍山、耳成山も見える


5世紀後半から6世紀前半といえば、渡来人の活躍が特筆される時代ですね。

 463 東漢直に命じ新来の漢陶部、鞍部、画部、錦織部などを設定する
 470 身狭村主青らが呉国から漢織、呉織や衣縫の兄媛、弟媛を伴い帰国
 513 百済の五経博士段揚爾が渡来
 516 百済の五経博士漢高安茂が渡来
 538 百済から仏教の公伝
 554 百済の医・易・暦博士らが渡来
 (「総合日本史図表」第一学習社より)

渡来人と新沢千塚古墳群の関係は、自分的には無知ですので、よく知りません。
ただ発掘調査がおこなわれた約130基の古墳のうち、特に126号墳からは遠くペルシャや中国、朝鮮半島からもたらされた副葬品が出土しています。


前置きはこのぐらいにしまして、初冬の古墳丘陵を歩いてみませう。


115号墳
115号墳
126号墳
126号墳
126号墳
畝傍山
この地に生きた人々は畝傍山をどんなふうに見ていたのだろう
狩猟に生きた先祖をあがめたかあるいは遠い故郷の山容を重ねたか
いずれにしてもだれもが同じ空を見ていたのだ
新しいカフェがオープンしていた(入らんかったけど)


また来よ。
広いからね。


なお、kumokichiさんにはお出会いしませんでした(笑)



2024.11.29
投稿 12.3