トトロ隧道を行く 黒滝村
洞川温泉からの帰りは、もときた国道309号線ではなく、さらに山深く入り、峠を一つ越え、黒滝村から吉野山へ出れそうな道を行くことにしました。
同じ道を帰るのは面白くないですからね。
この峠越えの道は、むろん山道でしょうが、地図に「県道洞川下市線」と表記されていますから、なんとか行けるでしょう。(この時点まだ強気)
上の地図の下が、洞川(天川村)になります。
ここ洞川から、県道洞川下市線の「小南(こみなみ)峠」を越え、黒滝村役場あたりまで走って、そこから地図右上の吉野山方面めざします
ちなみに、黒滝村は人口565人(都道府県市区町村人口ランキング 2024年1月1日 より)、森林面積が97%を占める、ほんまもんの「森の村」です。
ここでことわっておきますと、じつは山道の走行中は、車の運転に必死で、写真は撮ってません。なぜ必死?
一応県道となっていますが、普通車一台がギリギリという狭小な幅員でした。対向なんてできません。待避所も、ほとんどなかった。たぶん地元の人は路肩を使うのでしょう。
路面は、簡易なアスファルト舗装されていますが、ガタガタ区間もある。曲線多く、そういう個所では水たまりやにじみが見られる。落石の小石も、水を含んだ木の葉も積もっている。むろん勾配もきつい。要は、険道のなかの険道でした。←個人的感想
村史を調べたりしないと正確にはわからないですが、この小南峠越えの道は、相当古いものと思われます。洞川から吉野山、または下市町へ出ようとすると(また逆もある)、交通手段が歩きしかなかった時代においては、もっとも至便の道だったかもしれません。
ネットなどでみますと、現在の国道309号が整備されるまでは、小南峠越え(小南隧道完成後)は、荷車の通れる唯一の道として往来も盛んだったようです。
でも、今は、まったくのさみしい林道です。実際、黒滝村に入るまでに、一台の対向車にも出くわすことはありませんでした。
豆知識:小南峠はかつては交通の難所であり、峠を越えようとした者は苦しさのあまり身軽になるために食料の米さえも投げ捨てたとされ、「こみなみ」は「米投げ」が転化したという伝承がある。(ウィキペディア)
そんな険道を、事故ったらオシメーダ、などと震えながら、そろりそろり坂を登って行きますと、ようやく峠にさしかかったか、トンネル(隧道)が見えてきました。
標高は、地図を見ますと1000メートルぐらいでした。(洞川が800メートルでしたから、こんなもんでしょう。)
この小南隧道(トンネル)は、明治34年、九州からきた坑夫がツルハシとノミを使って手掘りで完成させたということです。九州では炭鉱もあったりしますのでトンネル掘りの技能を身につけた集団がいて、彼らが奈良の山奥まで働きにきたのでしょうか。
当時、この隧道完成によって、南吉野地域の人々の生活が、どんなに便利になったことでしょう。そして、明治、大正、昭和と、長く産業道路、生活道路として使われてきたに違いありません。
ようやく娑婆界に下りてきました。
お腹も空いたので、おそめのお昼にしましょう。しかし適当な場所がないので、いったん国道沿いにある道の駅へ行くことに。その後、また引き返し、吉野山に向かいます。
こうしてたどりつきました。道の駅「吉野路 黒滝」です。
以上、お昼を終えたところで、本編は終わりです。
なお、実は、小南峠を下ってきたところ(赤岩渓谷)で、敬愛する歌人前登志夫氏の歌碑を見つけました。このことは、小南隧道とは趣が違うので、別記事に書きたいと思います。
(トトロの写真:これは途上において人家の庭先にあったもの。道から見えるようにおかれてあったので盗撮させていただきました)
2024.6.5
(2024.6.7記)