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「獅子から降りた国宝 文殊菩薩」 安倍文殊院初詣


日本三文殊菩薩霊場は、ここ安倍文殊院、京都府天橋立の智恩寺、山形県高畠町の大聖寺の三ヵ所らしいです。

安倍文殊院の本尊は、像高さ7メートル(日本最大)の騎獅文殊菩薩像(きしもんじゅぼさつぞう)で、鎌倉期の快慶作という。また、陰陽道の安倍晴明の本家氏寺としても有名であります。


安倍文殊院の境内には見どころがいっぱい(信仰か観光か)


文殊菩薩は知恵の仏さま。若きころ、合格祈願に参拝なさった方も大勢おられるでしょう。

かくいうワタクシめも老いたる身ではありますが、今年は飛鳥藤原まるごと博物館の中級検定に挑戦するのだしするので、ここは一つ年のはじめに、文殊さまの知恵にあずかろうと詣でた次第です。

(もう頭が固くなってるから知恵つかんと思うよ!←天の声)


以下、写真で綴る安倍文殊院参詣記です。(写真多めです)


[表山門、本堂]

この文字は榊莫山さんですね。榊莫山氏は俳句誌『藍生』(黒田杏子主宰)の題字を書いてくださっていましたのでとてもなつかしい字です
表山門。もうひとつの東山門は、境内駐車場への車による進入ゲートとなっています
参道。正面が本堂
二日目となるせいか予想よりちょっと人少な
本堂。隣の本坊で受付すると本堂内参拝できます


もちろん700円払いました。本堂内拝観しますよ。


今だけの期間限定初詣プレゼントがありました。赤色の念珠でした
獅子にのる文殊菩薩(リーフレットより)

実は、上の写真のように、ふだんは文殊菩薩さまは獅子にのっておられます。

ところがこの1年間だけ、文殊菩薩さまは獅子から降りられていました。耐震対策を講じるためとのことです。(獅子にのっかってるだけで固定されていないらしい)

このようなお姿の文殊さまは今をおいて二度と見ることはないでしょう。同じ目線の身近な文殊さまに!

こんなわけでなにとぞ知恵をいただきたいとお願いしました。


(堂内写真撮影できませんので、写真はリーフレット拡大です)


騎獅文殊菩薩像(きしもんじゅぼさつぞう)
善財童子像(ぜんざいどうじぞう)
優填王像(うでんのうぞう)
須菩提像(すぼだいぞう)
維摩居士像(ゆいまこじぞう)

5像すべてが国宝だそうです。


本堂は隣の釈迦堂とつながっていて、多くの諸仏とご面会することができました。びっくり。



[金閣浮御堂]


金閣海御堂は、霊宝館にもなっているようです。

本日は入館いたしませんでしたが。


浮御堂は文殊池の中に建てられています
霊宝館には弁財天などの尊像や宝物がお祀りされている
浮御堂の回廊は、七回まわることにより魔除け、災難除けを七難を取り除く修行場でもあるという(まわってらっしゃいますね)


浮御堂拝観料は700円。本堂700円とセットなら1200円です。
七難取り除けるならお安い。と思えるならばありがたい修行場です。



[白山堂]

白山堂は、流造屋根柿葺(こけらぶき)で、国の重文です。

白山信仰は陰陽道と深く結ばれていたため、安倍晴明ゆかりの当地に白山神社の末社が勧請されたのだそうです。


流造屋根柿葺(こけらぶき)。国の重要文化財に指定されている
白山信仰といえば、福井県、石川県、岐阜県にまたがる、あの白山。山岳宗教ですね。興味深い由緒です



[清明堂、展望台]

その安倍晴明をお祀りする清明堂は、境内高台の展望台にあります。


展望台への登り口。「合格門」
展望台に建つ「安倍晴明公 天文観測の地」の碑
たしかに昼も夜も展望がいい
晴明堂は平成16年再建。20年か。まだ新しいもんね
安倍晴明は全国区で人気者


展望台からは、大和盆地の眺望とともに花の広場を見下ろすことができます。


花で描く干支(干支の教えに従い深く潜航し飛躍したい)



[稲荷社]

駐車場背後の丘の上にある稲荷社もまた、安倍晴明の母親の白狐・信太森葛葉稲荷をお祀りしている。

崖の上みたいですが、丘を削ったんかもしれない(駐車場敷地)
赤い鳥居は絵になる
不思議な影
丘の上のちょっと広いところへ出ました。今は樹木すらないが何か建物が建っていたんでしょうか?
「安倍晴明の母親と伝承される白狐・信太の森(しのだのもり)葛葉稲荷社をお祀りしている」


信太の森(大阪府和泉市)といえば、安倍晴明の母(白狐)が書き残した「恋しくはたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌(歌舞伎セリフ)が有名ですね。


[西古墳]

国の特別史跡です。

今は開発されてもとの地形がわからなくなっていますが、この古墳は西に延びる丘陵尾根の南斜面に造られたもののように見えます。現在池のある場所を谷筋とすれば谷の中ほどに位置します
羨道が開口していて、石室に入れます
特別史跡の石室を近くから見学できるのは稀ではないでしょうか
綺麗に加工された石槨、石室が美しい
「築造技術の美しさは日本一」



[東古墳]

東古墳は、同じ境内に西古墳とさほど離れれておらず、対のように造られています。こちらは羨道、石室の見学はできません。

羨道中ほどには、枯れることのない井戸があるそうです。

こちらも立派な古墳ですが、現状の地形から想像し、盛り土構造なのかどうかは?のようにも思えます
盛り土ならば、清水が湧く(井戸)というのはどうなんでしょう?
「閼伽井の窟」「閼伽水の井戸」


さて、阿倍氏一族の氏寺の由緒もつ安倍文殊院は、もとは大化の改新の頃、左大臣・阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)創建の安倍寺の別所として建てられていたもので、安倍寺が多武峰(とうのみね)の衆徒によって焼かれた時、安倍文殊院だけがのこったということです。

焼かれた安倍寺は発掘調査によって明らかになっており、現在は史跡公園として整備されています。安倍寺跡は、安倍文殊院から直線距離にして300メートルぐらいの所にあります。


安倍寺跡(撮影2024年12月)


以上で、2025年初詣はしご二日目のリポートを終わります。


なお、今年の目標の一つして、安倍寺跡を含む飛鳥周辺の廃寺古寺を探訪する連続記事を書きたいと思っています。それゆえ本記事は、廃寺古寺シリーズの関連記事として追補改稿する予定です。


2025.1.2