煎じ屋(#11)

 地方都市のそこそこ賑やかな商店街の大通り、ではなく、そこからちょいと外れた場所にその店はあった。

「明治15年創業 煎じ屋」

 歴史を感じる看板の文字はところどころ剥げており、少し傾いていた。やたら重たい扉を押すと、立て付けの悪さを物語る音が出迎えてくれる。
 店内に人の気配はなく、照明もカウンター奥の一つしかともっていない。
 内装はモダンな洋館風の作りだが、ソファにはつぎあてが、控えめなシャンデリアはほこりをかぶっていた。

ーーー本当にやっているのか・・・・・・?

 ここは知る人ぞ知る店で、表向きは普通の喫茶店だが、裏では世界中から集めた社会的に地位のある人や才能を認められた人の「爪の垢」を提供している場所だ。
 地元の人の認知度は低く、もちろんインターネットにも情報はない。爪の垢の力を借りたい人はこっそりと足を運ぶ。
 かくいう私も自分自身では到底解決できない問題を抱えており、友人に勧められ藁にもすがる思いでここにやって来た。

「いらっしゃい。何にしますか」

 突然、しわがれた声に話しかけられた。ここのマスターだろうか。随分と年老いた爺さんである。

「あの、爪の垢をいただきたいんです」
「ああ、どんな垢がいいですか。ある程度種類はあるはずですよ。ただし、購入できるのは一点のみ」
「何でもいいんですか」
「まあ、あらかたは大丈夫ですよ」

 爺さん、いやマスターはそう言うと、ずいぶんと年季の入ったやかんに火をつけ、お湯を沸かし始めた。

「ではマスター、あなたの爪の垢をいただけませんか」
「私のですか?」
「ええ、実は私には息子が1人いるんですが、一年前に突然会社は継がないと言って出て行ってしまったんですよ。あ、私の家は父の代から会社を経営しているんですけどね。あらゆるつてを回って息子を探したんですが見つからず、友人の1人に勧められたんです。煎じ屋の主人の爪の垢を飲めばいい、この店は明治から代々続く老舗だから、爪の垢を煎じて飲ませて貰えばきっと息子も帰ってくるぞと」

 やかんの注ぎ口から勢いよく白い水蒸気が吹きだす。マスターは火をとめた。

「私の爪の垢でよければ、どうぞ飲んでいってください」
「いいんですか?」
「ええ、少し待っててください」

 マスターはそういうと、深くシワの刻まれた手から爪の垢を採取し、茶こしに移してゆっくりとお湯を注いだ。

「どうぞ、飲むときは熱いですけど一気に飲んでください」

 私は言われたとおり、湯呑みを受け取るとそれを一気に飲み干した。

「ありがとうございました。お代はいくらですか」
「いえ、こんな老いぼれのものですからお代は結構です。それにこの店も今日で閉めるつもりだったんですよ。うちのせがれは跡を継がないと言っておりますしね」

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