![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162947107/rectangle_large_type_2_fa0c9a9e83189b1f481b0cacc90a4713.png?width=1200)
実家の高齢母が骨折した件①
はじまりは夜明けの電話
2024年11月13日未明。まだ暗い寝室で突然電話の着信音が鳴った。
寝ぼけ眼でスマホの画面を見ると実家の母の名前が見えた。時計は3時51分。
「また間違い電話かな」
これまでも母がスマホ操作を誤って発信してきたことが何度かあったため今回もスルーした。眠気が勝ったのだ(母よスマヌ)。
布団を被り直してうとうとしていたら隣で眠っている夫のスマホが鳴った。
「お義母さん?どうしたんですか?」と飛び起きる勢いですぐに対応する夫(エライ)。
2人のやり取りから漂ってくるただならぬ雰囲気に私も覚醒した。
母は自宅2階の寝室で就寝中尿意で目覚めてベッドから起き上がり、頭上の電灯の紐を引っ張ろうと手を伸ばした際に掴み損ねて転倒し、ベッド下のフローリングに勢いよく尻もちをついたようだった。
「痛くて動けない。折れてるかもしれない」と母。
母の家は関東、こちらは東北だ。駆けつけるには物理的に離れ過ぎている。
その後母は同じ県内にいる私の弟(母からすれば長男)にも連絡を取り、来てもらうことにしたようだ。
なぜ一番にそちらに電話しなかったかというと、「昨日(弟は)出張から帰って来たばかりで疲れているだろう」との母心からだったそうだ(これが本当の老婆心)。
母は昔から弟に対しては甘い。
まったく子離れできていない。
弟が実家に来るたびやれパンツだやれTシャツだと頼みもしないモノを買い込んでいそいそと待っている。
もちろん弟は成人している。成人してからすでに数十年経っている。誰が見ても立派なおじさんである(独身だけど)。
いざ母のもとへ
さて、そんな家庭の事情はさておき、私は家族の朝食と弁当を準備し職場に調整の連絡を入れてから新幹線に飛び乗り、4つの県を通過して母が搬送された病院へと向かった。自宅から病院までおよそ4時間半の道のりだ。
その間、車で先に到着した弟が母の対応にあたってくれていた。
動けぬ母の指示のもと入院グッズを準備するため2階と1階を何往復もしてからようやく救急車を要請、2階から担架で運んでもらい無事搬送されたらしい。ありがとう弟。いてくれてよかった。
救急搬送は7時過ぎ。朝の着信から3時間経過していた。その間ずっと同じ姿勢で痛みに耐えていた母の気持ちを想うと切ない。
ちなみに母は隣の奥さんに今から救急車が来るので迷惑をかけるかもしれない旨LINEでちゃっかりメッセージを送信していた。
このあたりぬかりない母にはいつも感服させられる。後期高齢者だがLINEでのやり取りは普通にできるし、車の運転もするし、ADLも自立している(この先していた、になってしまうのだろうか)。
また、救急車を要請した際もサイレンを鳴らさないよう依頼したらしいのだが、それは法律上できないとやんわり断られたようだ。
大腿骨頚部骨折
やはり母は大腿骨が折れていた。
大腿骨の骨折といっても、折れた箇所により予後にかなりの差が出るようだ。
母は重症度の高い方の大腿骨頚部骨折であった。一昔前であれば、寝たきりコースの大けがである。
病室では弟が待っていた。
母は負傷した左足をベッドに固定され重石で牽引されていた。下半身を動かそうとするとかなり痛むようだったが、顔色は悪くなく食欲もあってまずは安心した。
手術日は入院から3日目の11月15日に決まった。
折れてしまった大腿骨の先端部分(骨頭)を人工のものに置き換える手術、大腿骨頭置換術である。
医師からの説明では術後翌日から早速リハビリを開始するとのことであった。
高齢者では認知機能の低下や筋肉の拘縮や減少が起きやすいため、早期からのリハビリが必須なのだそうだ。
傷が癒えるのを待っていては寝たきり一直線ということで、昔の人からするとスパルタとも思える母の入院生活がスタートした。
つづく