縁の下の力持ち
昔から音楽が身近にあった。
私は典型的な祖父母大好き少年で、小学校を卒業するまでは、両親よりも祖父母と一緒に過ごす時間が長かった。
祖父は歌うことが大好きな人で、地元の祭りでカラオケ大会がある度に北島三郎さんの『まつり』を熱唱していた。私は祖父のおかげで北島三郎さんを知ることができたし、テンポがズレようがこぶしを効かせまくって歌っている祖父がかっこよかった。
祖母は歌うことは好きではないが、美空ひばりさんの『川の流れのように』を毎日口ずさむ人だった。小学生の私にとって、長い人生の何かを歌っている歌詞の意味は理解できなかったが「いつか分かる時がくるちゃ」とニコニコしながら話している祖母が楽しそうだった。
音楽が楽しそうだと思った私は吹奏楽部に入部した。理由は「なんとなく楽しそうだったから」と言う適当なものだったが、知らない物事に跳びつける行動力があったことはすごいな、と今となって思う。
私はクラリネットが演奏したかった。理由は「見た目がかっこいいから」。黒い管体に銀色のパーツ。最高。もちろん第1希望にクラリネットと書き、他は何を書いたか覚えていない。結局私が担当したのはチューバという楽器だった。
何その楽器?知らない。顧問の先生に理由を聞いたら「君はガタイがしっかりしているから」と言われた。何のために希望を取ったの?
チューバは低音楽器だ。基本的にメロディは演奏しない。リズムを演奏することが多い。私は楽しくなさすぎて泣きながら演奏していた。クラリネットでメロディを演奏している友達を見て、よけい悲しくなった。
それを祖母に相談したら「あんたがその楽器を演奏しんと、目立てん人がおるんなら、あんたは縁の下の力持ちやね」とアドバイスをくれた。ニコニコしながら。縁の下の力持ち。そんな言葉があるのか。私は学びを得た。
私のおかげでみんなが目立てて楽しく演奏できてるんだぞ、どうだー。そんなふうに思っていたら、私はチューバの演奏が大好きになっていた。
ある時、『名前の由来を調べる』宿題が出た。私の名前に使われている漢字は小学校では習わない、難しい漢字が多い。卒業するまでに習ったのは『原』だけだった。
母親に聞いてみたら「慶んで人を丞く」だと言われた。命名は祖父母。なるほど。
音楽の楽しさとアドバイス、名前をくれた2人は、もうじき米寿を迎える今でも現役バリバリで働いたり畑仕事したり旅行ったりお酒を飲んだりしている。いっぱい感謝。縁の下の力持ちになるよ。
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