炎の第三次ソロモン海戦:第1章 危機線上のガ島基地 ~ 2.ヘンダーソン基地の悲鳴

(「1.火弾の雨」からのつづき)


2.ヘンダーソン基地の悲鳴

十月十一日、支援部隊は三度目のトラック出撃をした。高速輸送船団がガ島に強行突入する作戦計画は、すでに発動されている。突入は十五日。それを援護するのが、支援部隊の任務であった。支援部隊は、前進部隊(二艦隊*1)と機動部隊(三艦隊*2)から成っていたが、このために、空母以外の艦を使用してガ島の飛行場を夜間砲撃する策が、ひそかに進められていたのである。

八艦隊も砲撃の手はずを進めた。砲撃の第一陣は、六戦隊(青葉*3、古鷹*4、衣笠*5)を主力とする部隊であった。われわれのトラック出撃の夜、ガ島泊地に突入した。不幸にも、敵艦隊の待ち伏せに会い、ここにサボ島沖海戦*6が惹きおこされた。六戦隊の損害は、少くなくなく、そしてついに飛行場砲撃の秘策は口惜しいながらも流産した。

第二陣は、機動部隊の金剛、榛名と、第二水雷戦隊*7であった。その部隊に、挺身攻撃隊という勇壮な名が与えられた。

「敵機を全部やっつけてくれ⋯⋯」

十三日早朝、われわれ前進部隊全員の祈りのうちに、挺身攻撃隊は隊列をはなれていった。突入は十三日深夜の予定であった。

夜の陸上砲撃である。目標はジャングルにかくれて、何も見えない。勢い、間接射擊方式*8をとらねばならない。そこで、ガ島の味方と協定して、三定点に灯火を点ずる手筈がととのえられた。その灯火を目標にして、砲口を飛行場に向ける。

また、陸上の味方観測所からは、弾着を観測して艦に修正量を通報する。そのために、ラバウル*9の八艦隊から、すでに観測士官がガ島に送りこまれていた。

この飛行場砲撃の成功を祈るものは、単に支援部隊の乗員だけではなかった。糧食、弾薬、兵器も乏しいガ島にあって、苦闘を続ける陸軍部隊から、痛切に渇望されているのであった。

(「3.火の海」へつづく)


管理人による脚注

*1:二艦隊(第二艦隊)
旧日本海軍の主要な艦隊の一つで、1903年に創設され、1945年の解隊まで常時編制されていた。主に愛宕級などの巡洋艦を中心とした部隊であり、太平洋戦争中には南方へ進出し、多くの重要な海戦に参加した。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/第二艦隊_(日本海軍)

*2:三艦隊(第三艦隊)
常設だった第一艦隊・第二艦隊と異なり、必要に応じて編制・解散される特設艦隊で、日露戦争から太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。特に、第一次上海事変やフィリピン攻略作戦など、重要な戦闘に参加し、戦局に影響を与えた。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/第三艦隊_(日本海軍)

*3:青葉(あおば)
旧日本海軍の重巡洋艦で、青葉型重巡洋艦の1番艦。1927年に竣工し、1945年にアメリカ軍の攻撃を受けて大破、最終的に解体された。艦名は京都府と福井県の境にある青葉山に由来し、後に総理大臣を務める中曽根康弘も乗艦したことがある。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/青葉_(重巡洋艦)

Wikimedia Commons contributors. (n.d.). Aoba Trial. In Wikimedia Commons. Retrieved October 20, 2024, from https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_cruiser_Aoba

*4:古鷹(ふるたか)
旧日本海軍の古鷹型重巡洋艦の1番艦で、1926年に竣工した。竣工当時高松宮宣仁親王が乗艦したことがあり、後年も古鷹での生活を懐かしんだというエピソードが残っている。1942年10月、サボ島沖海戦で米艦隊の砲撃を受けて沈没した。2019年にマイクロソフト社共同創業者のポール・アレン氏が設立した財団の調査チームがサボ島沖合の海底で本艦を発見し、話題となった。

Citations:
[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/古鷹_(重巡洋艦)

Wikipedia contributors. (n.d.). 古鷹. In Wikipedia, The Free Encyclopedia. Retrieved October 20, 2024, from https://ja.wikipedia.org/wiki/古鷹_(重巡洋艦)

*5:衣笠(きぬがさ)
旧日本海軍の青葉型重巡洋艦の2番艦で、1927年に竣工した。1942年11月、第三次ソロモン海戦で米空母エンタープライズの攻撃を受け沈没し、511名が戦死した。艦名の由来は横須賀の衣笠山をはじめ諸説ある。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/衣笠_(重巡洋艦)

Wikipedia contributors. (n.d.). Kinugasa. In Wikipedia, The Free Encyclopedia. Retrieved October 20, 2024, from https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_cruiser_Kinugasa#


*6:サボ沖海戦
1942年10月11日から12日にかけて、ソロモン諸島のサボ島沖で旧日本軍とアメリカ軍の間で行われた海戦。日本軍は、ガダルカナル島に物資を輸送するための支援部隊として、重巡洋艦3隻(青葉、衣笠、古鷹)と駆逐艦2隻(吹雪、初雪)からなる艦隊を派遣した。一方、アメリカ軍は日本軍の動きを察知し、ノーマン・スコット少将指揮下の艦隊(重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻)を迎撃のために配置した。戦闘は夜間に行われ、両軍ともにレーダーや偵察機を使用して相手の位置を探ろうとしたが、情報の混乱や誤認が多発した。結果として、この海戦はアメリカ軍の勝利に終わった。日本軍は重巡洋艦1隻(古鷹)と駆逐艦1隻(吹雪)を失い、他の艦艇も大小の損傷を受けた。一方、アメリカ軍の損害は比較的軽微で、駆逐艦1隻の喪失と数隻の損傷にとどまった。日本軍は手痛い敗北を喫したが、輸送作戦そのものは成功したとも言える。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/サボ島沖海戦

U.S. Navy. (1942). Savo Is Cape Esperance BattleChart [Image]. Wikimedia Commons. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Savo_Is_Cape_Esperance_BattleChart.jpg


*7:第二水雷戦隊
旧日本海軍の主要な水上部隊の一つで、略称は二水戦。太平洋戦争中、最前線の攻撃部隊として活躍し、特に夜間戦闘や魚雷攻撃で重要な役割を果たした。1943年のコロンバンガラ島沖海戦で司令部が全滅するなど、激しい戦闘で大きな損失も経験した。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/第二水雷戦隊

*8:間接射擊方式

目標が直接見えない状態で行う攻撃手法。観測班、射撃指揮所、砲列の3チームが連携し、敵の位置を把握して砲撃を行う。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/間接射撃

*9:ラバウル
パプアニューギニアの東ニューブリテン州に位置する歴史的に重要な町。1910年にドイツによって建設されたラバウルは、第一次世界大戦後にオーストラリアの統治下に入った。1942年1月23日、日本軍がラバウルを占領し、重要な軍事拠点とした。「ラバウル要塞」と呼ばれ、約9万人の日本軍が駐留していた。1943年以降、連合軍の反攻により補給線が切断されたが、日本軍は自給自足体制を確立し、終戦まで抵抗を続けた。

Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/ラバウル

Nairn, I. A., McKee, C. O., Talai, B., & Wood, C. P. (1995). Position map showing the location of Rabaul. The islands of New Britain and New Ireland [Figure 1]. ResearchGate. https://www.researchgate.net/figure/Position-map-showing-the-location-of-Rabaul-The-islands-of-New-Britain-and-New-Ireland_fig1_221949004[1]

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