みんなが「人と違うこと」をしてるのであれば、「人と同じこと」をするのも人と違うことになるのでは
「人材」というものを査定するにあたっての一つの指標が「オリジナル性」みたいな風潮がある。就活でアピールする「オリジナル性」を求めて「ボランティア」や「留学」を選択する人もいる。「人と違うこと」が価値であるのはそうだろうけど、求めれば求めるほど価値が下がるのではと思う。
ここで一つ激アツなmcバトルを。
8小節3本オールパンチラインと言っても過言ではないけど、後攻Novel Coreの3本目のライン。
「オリジナルとは何か」ということを考えさせられる。誰か身近な人を見て、その人とは違う道を選択することが「人と違うこと」となり、そこに価値が生まれるのだろうか。ここに違和感がある。
何でだろうと思ったが、本質的なところを考えたらわりとピンと来た。つまり、「人と違うこと」に価値があるのではなく、そもそも「その人が何をやったか」に価値が生まれるはずなんだということ。わかりやすいなーと思いつつ、まだどこか腑に落ちない。
例えば以下の例を考えてみる。
学校や会社などの集団の中での人の評価ベースは①だろう。同じ条件下で突出することができれば、それだけで「人と違う」ことが証明しやすい。ただ、悪平等意識が働くと「出る杭を打つ」という形で80点の人が潰される。泥沼のコミュニティが垣間見える。
就活などでアピールしたくなるのは②だろう。誰もやったことのないボランティア、誰も行ったことのない留学先を選択し、それをアピール材料とする。ここにある落とし穴は、上記の「誰も」の範囲だ。たまたまそいつの周りで選択する人間がいなかっただけで、世の中規模で見たら他にも近しい選択をしている人はいる。
もちろん、選択の希少性自体に価値は生まれるだろう。ただ、ここに新たな選択肢が生まれて、②の人が追いやられる。それは...
こういうやつが不意に立ちはだかる。そうすると「人と違うこと」が目的だったやつらの立場がなくなる。③の人間と②の人間との違いは何か。
それは結局、その物事への興味の強さみたいなものなんじゃないたろうか。「人と違うこと」を目的にしているか、「それが好き」だからやるのかの違い的な。本質的な価値は後者に尽きる。
そこでNovel Coreの言葉が突き刺さる。誰かと被らないことそのものが誰かの影響。オリジナルじゃない。自分が何をしたいのかという軸で物事を決めていない。人と違うだけで価値が生まれると信じたい人が、人と違うことに価値を生み出してるんじゃないかとも思う。
そんな感じでみんなが「人と違うこと」を求めてたら、みんなが「人と違うこと」をすることになる。それってある意味「みんな同じ選択をしている」ことになる。なぜその選択をするのかの根拠が「誰かと違う」なのか「自分が好きだから」なのかを考える機会があるべきだ。
みんなが違うことを求めてる結果、みんなが同じことをしてるのであれば、みんなと同じことをしようとすることがある意味でみんなと違うことになる。人の影響を受けることは決して悪いことではない。そうすると「他人」というものをどのようなものとして見るのかが大事になるなーと思っている。多分次はそういうことをまとめてみる。
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