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母の教え№29 嫁と姑たちの戦(11) 11 母あての手紙(1)


 11 母あての手紙等

 私は、昭和40年4月に、京都郵政研修所に入所し、一年間の研修修了後、引き続き近畿方面の郵便局に就職したので、母がその後、祖母の看病や小姑や兄嫁との間に入って、どのように対処してきたのか、良く分からなかった。

 ところが、昭和56年、母が75歳で急逝した後、放置されていた倉庫を25年経った最近になって整理したところ、母の遺品等がいろいろと出てきた。中でも母が父に嫁いでから、生前いろいろの人から母あてに来た手紙等が全部保管されていた。父が書いた軍事郵便から、私たち兄弟等が書いた手紙なども出てきた。

 そこで、母が祖母を看病した、昭和40年1月29日から、昭和41年  10月13日までの前後に、母あてに来た、手紙等の中から、母が祖母の看病に我が身を投じて、誠心誠意尽くした状況の一部【母の教え№26・28-嫁と姑たちの戦い(8)・(10)-8盲腸の手術・10姑の大病…参照】を察してみたい。

 また、これらの手紙と一緒に、母が書いた祖母の看病日誌のようなメモ書きもでてきて、その当時の看病の状況がありありと見えてきた。その記録には、病人の毎日の体温の状況から、糞尿の回数・時間、見舞い客の名前、見舞い品の名称、経費の収支なども詳しく記録してあった。


 ――以下の手紙は、昭和40年1月29日、祖母が子宮癌のため、急遽、宇和島市立病院に入院し、母と伯母(小姑)が交代で看病していたが、伯母が体調を壊して帰宅し、母あてに書いたものを、当時、私があて名書きを代書して出したものです(伯母は、小学校もあまり行かず、カタカナが少し読み書きができる程度だったものを、母が漢字等を教えたため少し書けるようになったもの…当て字・かな書きが多いので読みずらいが、原文のまま記載)――


昭和40年2月25日付

市立宇和島病院下一病棟婦人科  山田ウメノ様内  花子様

                        山田ヨシエ出(小姑)

(原文のまま掲載…母の手紙に対する返事)

 はんじてよんで下さい

 御心せつ(ご親切)な 御たよりありがとうございました 病にんの あつかいは 大へんつかれるもので 大へん御めいわくをかける事と思います  母もはらがよくなつたとの事でよろこんでをりますが なにおゆーうても がんこな母ですから くすりのため(抗がん剤治療) 大へん心配おかけた事と思います 御ゆるし下ださませ 和(私の間違い)も十七日のばん帰って そのばんわ中ぐみ(姉の嫁ぎ先)も とまりにはきてくれず 少しつかれていたか12時ごろまでは ぐーすりねむりましたが12時すぎから 大へんあたまがいたくなりきーうにさむけがしだしたので朝さおきて をいしやに行き ねつをはかつて みてもらいました  7ど7ぶありました そのよく日7ど8ぶあつたのです あきさん(松沢医院の息子)がはいえんになるかもわからないとゆわれて 困つてをりましたが、よいちーうしーやお をしりのところに4本うつてもらつたので よーやくはいえんになりませんでした    大へんからだが よわつておるので なんにもたべられないのいで まいにち ぶーどーとおの ちーうしやお うつてもらつてをります すこしは よいほーうになりました それで 中ぐみのねえさんが ごはんもたいて もつてきてくれますが いつも中ぐみは いそがしいところですから よるわ はやいときで7時か をそいときは8時ごろにしかきてくれないので  をかずが ないし なおごはんもたべられません 和(私)はどうで(どうせ) こんなことになるものと(独り者だから) かくごは してをりますが さらば そのときがきてみれば ほんとーによのなかが いやになつてきます 母もながい病気ですから 一日も早く よくなつて はなこさんにばかり 御めいわくをかけてはいけないと思て きわあせつていても病気は  あせつてくれないので困つてをります そのうちによくなると思いますから いましばらく御ねがいいたします いま2~3日前から きーうに寒くなりましたが風おひかないよう きをつけて下さい 母には こがいな事(こんな事は)は いわないで下さい ではをねがいいたします

  母によろしくつたえて下さい

                               よしえ

 はなこ様

   2月20日

 


――次の手紙は、私が四月初旬に京都郵政研修所に入所してから、自宅で看病中の母あてに初めて出したものです―― 

 昭和40年4月27日

 山 田 花 子 様        郵政研修所…山 田 三 郎 拝

(原文のまま掲載)

拝啓 

 大分暖かくなり 住み易くなって来ました。

 その後、母ちゃんには、お変わりございませんか?祖母ちゃんの扱いは、毎日大変だろうと想像しております。自分の身体をこわしてまでの看病は、はたして良いものか、悪いものかと思います。そんなに理屈どおりにはいかないと思いますが、僕もはるばる京都まで来て、一生懸命勉強しても、喜んでくれる人のないことはさびしくなります。祖母ちゃんの為につくしてあげる事も大切ですが、無理をせず私達の為にも長生きしてくれる事も大切だと思います。

 兄さん達の状態はいかがですか、相変わらずやっておりますか? 少々心配です。彼達はあれでいいのですが、一緒に暮らしておるものが、どんなに気を使うか、解らないのだろうか?

(……途中省略……)

 この間、ばあば(伯母)に便りして、金千円入れておきました。”祖母ちゃん(祖母)に何かうまいものを買ってあげて、自分も菓子でも買って食うように〟と……。

(……途中省略……)

 こちらに来ても色々と故郷の事を考えております。今頃は、畑もぼつぼつ忙しくなった事と思いますが、兎角、身体には十分気をつけて、暮らしてもらう事を考えるのみです。 

 祖母ちゃん、ばあば、太郎兄ちゃん、姉さんによろしく……

  乱筆乱文にて失礼                     敬 具

 母 上 様                        三 郎 拝

 

 

昭和40年5月10日付

山 田 花子 様

        京都郵政研修所伏見寮     山 田 三 郎 拝

(原文のまま掲載)

 お母さんありがとう。今日は〝母の日〟ですね。私が田舎にいた頃には、ご迷惑ばかり掛けて何一つためにならなかった事を後悔しております。 
今は又遠い京都の空、なんの手伝いも出来ないのが残念です。

 毎日、祖母ちゃんの世話、畑の仕事と、お忙しいことでしょう。十分身体に気をつけられて頑張って下さい。〝わが身があっての親孝行であり、仕事だ!〟と思います。〝我が身に代えてもやらねばならない時代もあったと思いますが、今さら……〟とは言っても〝せっかく、今まで仕えて来たのに〟と言うことにもなりますね。 

 兎角、身体に十分気をつけて頑張って下さい。

 太郎兄さん達は、まあなんとかやっておりますか? 勿論、喧嘩はしているだろうと思いますけど……。

 (……途中省略……)

 日曜も外出すると金がいるので出ないことにしました。

 5月2日、3日の連休には、鳥羽・志摩・伊勢神宮の方へ節約旅行に行きましたが、節約ですから、何も買いませんでした。

 でも祖母ちゃんにだけでもと思い、お伊勢さんのお守りを買いました。(同行の皆が笑ったし)若い者がと言って笑われるかも知れませんが、年寄りにとっては、いいのじゃないでしょうか。

信心深いことも悪くないと思います。

 最近の祖母ちゃんの様態はいかがでしょうか? 多分、悪いのではないかと想像しております。何もしてあげれんのが残念だと言っておいて下さい。

(……途中省略……)

 兎角、夏休みには、帰るつもりです。なにがなんでも長生きして下さい。出来るだけ暢気な気持ちで、身体に十分気をつけて、私も4、5年こちらの 郵便局で辛抱すれば、四国に帰れそうです。

 遊ぶことも無駄にならないように頑張るつもりです。今日はこの辺で……。

皆さんによろしくお伝え下さい。

 乱筆乱文にて失礼します
     

 母 上 様                    三 郎 拝

  ――この二通の手紙は、私が京都郵政研修所に入所してから、夏休みで帰     郷するまでに母あてに出したもので、当時の状況がわかります―― 


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