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身代わり狸物語 「第3話」
4 狸が元気になった
「トントン、トントン……」
と葱を切る包丁の音が、軽快に響いてきました。太郎は、寝付かれないと思っていたのに、何時の間にか寝ていたのです。二階の寝室には、もう、お父さんとお母さんの姿はありませんでした。
お父さんと一緒に寝ていた次郎は、布団を跳ね除けて寝返りを打ち、お母さんと寝ていた三郎は、敷布団の端の方にうつ伏せになって静かにに寝ていました。
太郎は、次郎と三郎が跳ね除けた布団をそっとかけてから、静かに寝室の襖を開けました。一階の台所から、味噌汁の美味しそうな香りが、かすかに階段を上ってきました。
「お母さん! お父さんは、もうお仕事に出かけたの?」
と太郎は、階段を駆け下りながら尋ねまっした。
「まだよ! 敦子ちゃん所の鶏小屋じゃないかしら? 狸さんがどうなったか見ておられるのですよ」
「僕も見てこようっと……。狸さん元気になったかなあ?」
と太郎は、裏の縁側からツッカケをはいて飛び出しました。
鶏小屋では、お父さんが青いシーツを小屋の周りに張り巡らしておりました。
「狸は、夜行性だから暗い方が住み易いのだよ。夜中に水を少し飲んでいるし、自分で動けるようになったようだからもう安心だ!」
とお父さんは、入口の砂の上の足跡を指して言いました。昨夜、扉の鍵をかけた時、入口のあたりを箒で奇麗に掃いていた理由が、太郎には、初めて分かりました。
「二日ほど、何も食べないと思うが、水だけは新しいものに取り換えてやる方がいい。暫くは、お父さんが世話をするから、子供達は、出来るだけ近づかないようにしよう。狸は、野生動物だから皆が近づくと驚くからな!…。人間が作ったねぐらは嫌なのか、自分が作ったよ!」
とお父さんが、小屋の奥の隅の方を指さしました。小屋の一番奥の窪みに、少し穴を掘って、藁屑だけを集めてうずくまっている黒い塊が見えました。隣の敦子ちゃんも気になっていたのか、パジャマのまま、眠い目をこすりながら、狸の様子を見に来ました。
お父さんは、太郎の時と同じように敦子ちゃんにも、今が一番大事な時だから、二、三日は、静かに見守るように頼んでいました。
また、お父さんは、出来るだけ子供達が、鶏小屋に近づかないようにするよう、お母さんに頼んでから仕事に出かけました。
太郎達は、狸のことが気がかりでしたが、お父さんの許しが出るまで、鶏小屋に近づかないことにしました。
狸を助けてから三日目の朝、鶏小屋の方から……
「もう、大丈夫だ! 昨夜やったビスケットとりんごの切れ端をたべているよ!」
とお父さんの弾んだ声が聞こえてきました。
「お父さんほんと、ほんとに良かったね!」
太郎は、起きたばっかりで、パジャマ姿のまま小屋の方に駆け出しました。お母さんも、調理の手を休めて出てきました。お父さんの声が大きかったのか、敦子ちゃんも敦子ちゃんのお母さんとお父さんもニコニコしながら出てきました。ここ二、三日は、狸が無事に元気になってくれるかどうか、皆が気になって重ぐるしい日々が過ぎていたので…
『良かった、良かった!』
と声を掛け合いながら喜びました。
「狸は雑食だから、昆虫でも何でも食べるが、しばらくは、人間の食べる物の方が無難だろうな。一度にたくさんやらない方が良いから、餌係は太郎一人に決めよう!」
とお父さんは、みんなを見渡しながら言いました。
太郎は、学校からの帰りを急いでいました。狸が元気になって、何でも食べるようになったから嬉しくてたまりません。
お父さんが、太郎を餌係に決めて、太郎が許可なしないと、次郎も三郎も敦子ちゃんも小屋には近づかないことにしました。狸がもう少し慣れてくるまでは、皆がワイワイガヤガヤ騒ぐと、狸が驚いて餌を食べなくなると、お父さんが言ったからでした。
太郎は、家に一時も早く帰るため、今日も近道の農道に入りました。しばらく来たところで、三人組に出会いました。銀行の社宅は、この農道の川向うにあるので、今日も寄り道をして、何かいたずらをしているようでした。
太郎は、この前のこともあるので、一瞬、嫌な予感がしましたが、より平気な顔をして、
「やあー!」
と右手を高く上げて、三人組の横を走り抜けようとしました。何時も黙って逃げるようにしている太郎の方から声をかけたので、三人とも呆気に取られて、顔を見合わせていました。
すれ違って5m位行ったところで、
「おーい! 太郎! この間の狸は、どうなった? 生き返らすことなんかできまいが?」
とゴマスリの仁太が、馬鹿にしたような笑い声で呼び止めました。
「そうだ! そうだ! いくらお前の父さんでも、死んだ狸は、生かせるもんか?」
と相槌打ち実が、ニヤニヤしながら言いました。
太郎は、一瞬、無視して行こうかと思いましたが、お父さんを馬鹿にして笑ったので我慢が出来ず、振り返って立ち止まり、
「狸は、お父さんが生き返らせたよ! 元気で餌を食べるようになったんだから…」
と叫んでから、一目散に走って帰りました。
「うそだ! 生き返るもんか?」
「うそつき!」
「馬鹿野郎!」
と口々に罵声を浴びせてきましたが、太郎は、後ろも振り向かず一目散に走って帰りました。