母の教え№30 嫁と姑たちの(12) 11 母あての手紙(2)
11 母あての手紙(2)
私は、昭和40年4月に、京都郵政研修所に入所し、一年間の研修終了後、引き続き近畿方面の郵便局に就職したので、母がその後、祖母の看病や小姑や兄嫁との間に入って、どの様に対処してきたか良く判らなかったが、昭和56年母が75歳で急逝した後、放置されていた倉庫を整理していたところ、母あてに来た手紙等が出てきた。
そこで、母が祖母を看病した、昭和40年1月29日から、昭和41年10月13日まで前後に、母手に来た手紙の中から、母が祖母の看病に我が身を投じて、誠心誠意尽くしてきた状況の一部【母の教え№26・28-嫁姑たちの戦(8)・(10)-8盲腸の手術・10姑の大病…参照】を、私が母あてに出した手紙を2~3紹介してみたい。
昭和40年6月10日付
山 田 花子 様 京都郵政研修所伏見 山 田 三 郎 拝
(原文のまま掲載)
拝啓 なつかしいお便りどうもありがとう。
皆それぞれに元気で頑張っているご様子に安心致しました.でも、何しろ看病よりも口やかましい事に疲れることだろうとお察し致します。
その様子では、ばあちゃん(祖母)もまだまだ、ずーと口だけは達者だろうと思います。どうか、看病人の方がまいらんようにして下さい。
便りによれば、ユスラメや枇杷が沢山なっておるそうですが、残念です。しかし、昔から毎年食べているので、1年や2年食べなくても、話を聞いただけで、もう食べたも同然です。
やっぱり小さい時に、うんと食べていると、その味が、身体のどこかに残っているようですね。
ばあば(伯母)とばあちゃんに伝えて下さい。〝枇杷は送らんように……〟と。同じ部屋で、自分だけ色々のものを故郷から送ってもらうと、他の人が気を使うので、かえって心配をかけるようですから……。団体生活をしていると気を使うものです。夏休みは、8月1日から22日までの予定です。同部屋の友人はじめ生徒の半分以上は、北海道へ旅行するよう計画しておりますが
僕は、祖母ちゃんやみんなのことが心配なので、休みになったら直ぐに帰郷したいと思います。
(……途中省略……)
色々としょうもないことを書きましたが、今日はこの辺で失礼します。
都会でなくても、結局、自分のことは、自分でしなくてはなりません。母ちゃんも、他人にかまわれなくても、早めに十分身体に気をつけて過ごして下さい。祖母ちゃんの世話、畑の事とお忙しい事でしょう。十分身体に気をつけて下さい。
乱筆乱文にて失礼。 敬 具
母 上 様 三 郎 拝
姉さん・太郎兄さんによろしく。
――この手紙は、私が夏休みで帰郷したあと、京都郵政研修所に帰寮してから、母あてに出したものです――
昭和40年8月25日付
北宇和病院内婦人科大部屋 山田ウメノ様内 花子様
京都郵政研修所伏見寮 山 田 三 郎 拝
(原文のまま掲載)
前略
帰郷の時は、色々とありがとうございました。お陰さまで無事寮に帰り、毎日元気で楽しく過ごしております。早く便りをしようと思いながら、遅くなり申し訳ありません。何しろ、こちらでも遊ぶことが多く、また、寮の部屋へ皆が遊びに来るので手紙を書く間もないのです。
とにかく、こちらは適当にやっておりますので、ご安心下さい。
大分、祖母ちゃんも弱っているので、あつかいが大変だろうと思いますが、どうかよろしくお願いします。
祖母ちゃんやばあばには、別に出しませんのでよろしくお伝え下さい。
家の方も、色々といやな事もあると思いますが、とにかく、長生きしておれば、すべて解決すると思います。無理をできるだけしないようにして長生きだけして下さい。
部屋にも電気がついたりすると(これまで一軒家で電気が通じてなかった)大分住み易くなるでしょうね。
今日は、この辺で失礼します。
ではお元気で…… 草 々
昭和40年8月28日
母 上様 三 郎 拝
昭和41年1月22日付
山 田 花 子 様 京都郵政研修所伏見寮 三 郎 拝
(原文のまま掲載)
拝啓
毎日、毎日冷え込んで来るようですが、下大野の方は如何でしょうか?
霜の夜など起きて、色々と世話をすることは大変でしょうね。私達のように、床の中に深くもぐり込んでいても、シンシンと寒さがしみて来るように感じるのに、何時も大変だなと心配しています。
その後、祖母ちゃんの様子も相変わらずだろうと思いますが、かえって付き添いの方が弱っているのではないでしょうかね……。
(……途中省略……)
ではまた次に……
お身体を大切にお過ごし下さい。
兄さん、姉さん、祖母ちゃん、ばあばにもくれぐれもおよろしくお伝え下さい。
乱筆乱文にて失礼 敬 具
昭和41年1月22日
母 上 様 三 郎 拝
――この手紙は、祖母が、昭和40年7月17日に局部が痛み出し、年内一杯入院していたが、年齢的にも全治する見込みがないので、病人が望むようにした方が看病人も楽だろうと、大晦日に退院して、自宅療養に切り替えた後、私が冬休みで正月に帰郷し、京都郵政研修所に帰寮してから、母あてに出したものです――
昭和41年5月9日付
山 田 花子 様 大阪市住吉区苅田町 郵政宿舎40号 三 郎 拝
(原文のまま掲載)
拝啓
お母さんありがとう。
お陰で私も一人前の人間として、少しは社会の為に尽くしております。
横着ばかり言って、過ごしてきたけれども、離れて暮らして見ると何かと、親のありがたさが、身にしみて参ります。
今は、何もすることができないが、せめて心配だけかけないように元気で頑張りたいと思います。
長らく御無沙汰しておりますが、その後、如何お過ごしでしょうか。この間は、タカヨちゃん(母の姪)の結婚式のお手伝い御苦労様でした。保美智叔父さん(大阪にいる母の実弟)に、お元気の御様子と聞き、安心しております。
その後の祖母ちゃんのご様子は、如何でしょうか。ほんとうに長い病気で、付き添いの人々も大変でしょうね。もう、病人も大分むずかしくなっているのではないかと、心配しております。
気長く心穏やかにしてお過ごしください。あまり無理をされないようにして下さい。
近くで見ていると、無理をするなと言う方が、無理のような気もするのですが……。
兄さん達も元気で頑張っているそうですね。
6月頃、子供が出来ると聞いておりますが、元気な良い赤ちゃんが生まれるといいですね。
子供が出来ると、また、何もかもが、落ちついて来るでしょう。肉体的には、えらくなっても精神的に、頑張りがきくでしょう。生活にもはりができるでしょう。
母ちゃんも色々と忙しい事が増えると思いますが、頑張って下さい。色々と苦労があると思いますが、せっかく自分の手一つで、ここまで頑張って来て下さったのです。三人の孫の顔を見てやって下さい。
三人力を合わしても、心から安心させてあげることができないかもわかりませんが、せめて、今まで苦労をかけて来た、何千万分の一くらいでも、早く安心してもらいたいと考えております。どうか、それまで長生きして下さい。
何十年かかるか解かりませんが、元気で見ていて下さると言うだけで、私達の大いに励みになるのです。現在、同じ年頃の友人と寮生活をしたり、遊んだりしておりますが、親兄弟のある人とない人とでは、考え方も話し方も生活態度がすべて違います。目にみえなくとも肉親のありがたさというものは、現れてくるのです。皆が元気で、それぞれに頑張っているということが、何よりもの幸福だと思います。
お互いに無茶をしないで、身体に十分気を付けて過ごしましょう。
自分一人のためでなく、皆のために……。
私のその後は、落ちついたものです。郵便局にも慣れて、毎日、通勤しております。
九月の初めごろ、年休を四、五日取っているので、一度、帰郷したいと思います。
(……途中省略……)
兎角、元気で頑張ります。そちらが落ちついたら、京都、大阪くらい案内できると思います。
くわしい事は、また、この次に書きます。
それでは今日は、この辺で、くれぐれもお身体をお大切にお過ごし下さい。
乱筆乱文にて失礼します。 敬 具
5月8日(母の日)
母 上 様 三 郎 拝
――この手紙は、京都郵政研修所修了後、大阪の郵便局に配属されて、約一カ月後の母の日に、母あてに出したものです――
――この他にも多くの方々から、祖母の看病を労う母あての手紙が残っていましたが、今回は、私が母あてに書いたものを中心に掲載しみました――