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独善に加担しない

とある映画の話をしよう。

その映画は、2009年に公開され、同年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門受賞という、世間的には素晴らしい作品ということにされている。

その際には国際環境NGOの活動が示唆されたり、「この映画は日本へのラブレターさ」などと監督がテキトーなコメントをしたり、映画に出演させられたとある大学准教授は「こんな映画に使われると思わなかった!! 訴えるっ!!」と裁判所に提訴した。

他にも、まだバリバリ働いてる水産庁の方が解雇されたとかテキトーなことを言ったり、何にもないところで泣いてる女優と別撮りのイルカの死をつなぎ合わせて架空の悲劇を演出したり、日本中のイルカの捕獲頭数を、その町で全て捕獲しているとか言ってみたり……。

さらには、実際に健康被害が起きているわけでもないのに、生体濃縮されているメチル水銀について、水俣病と錯誤させるような演出があったり(専門機関で調査をした結果、確かに水銀の影響はあるものの健康被害は認められなかった)、漁師たちをジャパニーズマフィアだとか煽ったり……。

このデタラメな映画周辺のエピソードについて述べるのはこれくらいにして、僕が何故、こんな記事を書き始めたかというと、この映画の嘘によって、謂れなき差別に苦悩している町を知っているからで、この映画の嘘によって、様々な分断を作り出していると思うからだ。

この映画は、その土地の人たちの生業を不当に侮蔑し、虚構の提示によってラディカルな活動家連中の差別的発言を増長させた。

現地の知り合いに、彼らが世界中からファックスで送りつけてくる呪詛の一部を見せてもらったが、人間というものは、ここまで醜く吐き気のする言葉を紡げるのだと愕然としたことがある。

批判は当然あるだろう。
議論もなされるべきだろう。

しかし、差別的な言動による攻撃は、何も生まないし、可能性を損なうだけだ。

動物の権利を主張する一方で、人権を軽んじ踏み躙るのは、後に大きな問題を生むのではないかと僕は考えていて、そのような差別は世界の多様性を著しく損なうのではないかと危惧している。

彼らの主張の根本に根付く、エスノセントリズムの一種のような独善に加担しないように、僕らは考えて言葉を紡がなければならないだろう。

最後になるが、件の映画の題名は「The Cove」という。

探せば中古のDVDがみつかるだろう。
気が向いたら試聴してみてほしい。

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ただのいそじ
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