ゲーム力の衰え
気になる記事があったので
noteのおすすめに出てきたこちらの記事を読んで、そういえば僕もゲーム自体をあまり遊べなくなったなーって思ったんだよね。
今は遊んでいるというよりも、暇を潰すのが目的になっていて、プレイ時間の短いゲームばかりになってる。
例えば……。
……その辺のゲームアプリを順繰りに遊んで、飽きたら次のゲームって感じでダラダラしてる。
その前はFGOやブルアカ、メメントモリなんかで遊んでたけど、時間が取れないのと自分のゲーム力の衰えからか、今は手をつけられていない(ブルアカは再開するか迷ってる)。
据え置きのハードやPCのゲームには完全に手が出せていない(もちろん経済的な事情も大きいんだけどね。一馬力で二人暮らしは本当に余力がない)。
ゲーム力とは
サラッと「ゲーム力」なんて言葉を出してしまったけど、自分で書いたテキトーな言葉のはずが、ニコニコ大辞典にはその言葉が載っていた。
ここではそこまで大層な意味で使っておらず、単に「ゲームを遊ぶための労力に耐えうる力」的な意味合いだと思って欲しい。
結婚してから特にそうなんだけど、据え置きのハードで、さらにいうと大作のRPGのようなゲームに向き合う根気が悉くなくなってしまった。
仕事やら、夫婦での諸々のことなどで、本当に一人になる時間がほぼないというのもあるのだろうけど、単純に僕自身がゲーム離れを起こしてしまったのだろう。
独身の頃は、心の翼はデルタ翼で、頭には見えないカナード翼がついてると思うくらいにエースコンバットにのめり込んでいたんですが、僕の中ではZEROで止まっているんですよね。
僕にとってACとはエースコンバットであってアーマード・コアではない。
ましてや公共広告機構のことではけっしてない。
けっしてACロボなんて覚えてないからなっ!
エースコンバットは初代は難し過ぎたけど、2〜ZEROまでは、本当に馬鹿みたいに遊んでた。
我が家のハードがPS2で止まっているのでナンバリング以外のヤツや6と7は遊べてない。
義弟が他界した際、形見分けでPS4が我が家にやってきて「7を買って遊び倒そう!」って思ったんだけど、結局埃が被ってる。
エースコンバットは大好きなタイトルなんだけど、そこに向き合う力(体力•集中力•経済力)がない。
僕の心のタイフーンでは、ハミルトンネルを抜けるのは難しいと思ってしまうのだ。
大好きなタイトルのゲームでさえこの有様なんだから、他のゲームなんて遊べるはずもなく、ことハードを買う経済力すらないので、もうゲームというものが「酸っぱい葡萄」になっていた。
得るものと失うもの
「ゲームなんて遊んでも意味がない」し「お金をかけるほどの価値はない」なんてことを思いながら、ゲームで遊ぶ人の話を「羨ましいなぁチキショウめ」と聞いていると、徐々にゲームに向き合うだけの様々なものを失っていくわけで、それでもちょっと前までは、ソシャゲに触れてゲームをすることの楽しさみたいなものの残滓にすがることもできた。
正月にちょいと課金して、お得にガチャ回して、一喜一憂するくらいの距離感で、ゆっくりじっくり味わって楽しんでいたと思う。
ただ、ソシャゲはスタンドアローンではない物だから、ゆっくりじっくり遊んでいるとドンドン置いて行かれてしまう。
相手も商売でやってるから、新章だイベントだとプレイヤーを煽ってるお金を落とさせようとする。
あと登場するキャラクターが多過ぎて、どのキャラクターをどんなふうに活用すれば攻略できるかってのを考えないと、全然先に進めなくなる。
僕はそれについていけなかった。
今は今期アニメが放映されているブルアカを再開しようか、それとも前にアニメ化されたアークナイツに手を出そうか、くらいの感じで、それはもう「ついていかなくても空気感だけ感じれればいいや」と金にならない客モードの距離感になっている。
ゲームから得られる楽しさも当然ある。だけど、それで失うものもある。
その狭間で、ゲームしてる場合かよと、オロオロしてる僕がいたりするわけだ。
結局は何でも無駄なもの
ただ、結局時間や金というものは、ゲームに向けられないだけで、他のものに嗜好や行動が向いているだけなのだろう。
現に、毎日こんなふうにnoteを書き殴り、YouTubeや Amazonプライムで動画をあさり、気が向いたら積読を消化する(最近読めてないけど)。
何の得にもならないことに考えを巡らせてはEvernoteにメモったり、そうかと思えばスケベなサイトでウハウハしたり、カーセンサーのアプリなんかでレアな中古車みて買う気も無いのに「おおっ!高えなぁオイ」とか思ってみたり……。
それもまた無駄なのだ。
そして、人間っていうものは、その無駄にこそ意味があるんだろう。
無駄な金と時間を有意義に使う。
本当に矛盾してるけど、その矛盾こそが人間性なのかもしれない。