世の中について考える
不快に思われる方もいらっしゃるかもしれないが、僕は自己評価の低い人間で、本当に落ち込んでいる時と「こんな人間、とっとといなくなれればいいのに」と思うことしきりで、それでもいなくなれない世の中を呪ったりと、世界を見渡せば恵まれているにも関わらず、身勝手な消滅欲(なんて概念があるかは知りませんが)を拗らせていたんです。
でも、言い訳に思われるかもしれないが、自分が恵まれていようがいまいが、自分の目の高さでしか物を見られないのであれば、自分の不幸は唯一の不幸だと感じられても仕方がない。
幸い(?)なことに、今ここに僕がいて、iPhoneで駄文を書き散らすことができるのは、本当にいなくなるだけの勇気がなかったことと、他者よりほんの少しだけ想像力があったからで、恐らく自分の身に降り注いでいる不幸など、凡百の中の一つでしかないのだろうと、何となく理解できてしまったからだろう。
人は、精神的な余裕がなければ、考えることができなくなる。
考えることができなければ、現状の分析も、そこから抜け出そうとする案も浮かばなくなる。
そして、閉塞感が加速して、程なくして絶望が心を支配するようになる。
この状況を変えていくには、どうにかして精神的な余裕を作り出していくしかない。
こうした余裕は、生きづらさを感じると、いとも簡単に消えていってしまうものだけれど、ほんのちょっとしたことで再び見つけられるものでもあったりする。
ほんの少し、ほんの少しだけでも、今の現状から目を逸らすことができれば、その切羽詰まった状況から抜け出せる「何か」を手にできるかもしれない。
その「何か」が、僕にとっては少しだけの想像力だったのだろう。
その、ほんの少しだけあった想像力を、足元にではなくて、目線を少しずつ上げていって、遠くを見るために使うことができれば、恐らくかつての僕と同じように、足元しか見られていなかった人を、いくらか見つけることができるかもしれない。
そんな人のために、自分には何ができるのだろうか?
今は何も思いつかないかもしれないが、考え続けていれば、そのうち何かを思いつくかもしれない。
そのために僕は考える。
今までは客観的に見ることができなかった世の中を見渡して、世の中のことを考えて、より良い何かを探し続けながら。
僕は考え続けたいと思う。