能力値、上がりすぎじゃね?
日々怠惰に過ごしながら、アニメなんかをダラダラ観ているんですが「最近のアニメは表現技巧がすげえなぁ」なんてことを思いつつ「でも、そうはならなくね?」って疑問もあったりなかったり中臣鎌足で(藤原?知らない子ですね……)、そんなことを仕事中に考えてしまうダメな中年な妄言をお聞きください……。
レベル概念の曲解とRPGの弊害的なもの
「俺だけレベルアップな件」という、今期のアニメが面白いなと思って、最新話の配信が始まったら欠かさず観るようにしているのですが、面白いと思っている反面、色々違和感も感じるのです。
レベルが上がらない世界だけど、主人公だけレベルが上がるというチートの存在は、設定として面白いのですが、なんというか紛らわしいとも感じます。
そもそもレベルという概念は、経験によって上がるものとして生まれているわけですから、上がらない方のレベルはクラスとでも言い換えておいた方がわかりやすいと思うんですよね(まあレベルという言葉にこだわりがあったから、どちらもレベルで統一したのかもされませんか)。
また、主人公か最初の二重ダンジョン以降、どんどん強くなっていく過程で能力値を向上させていくわけですが、演出の都合もあるのでしょうが、戦闘中の動きがどんどん人間のそれとはかけ離れたものになっていきます。
キャラクターが成長するとともに、人ならざるものに変貌していくというのは、最近のアニメでもよくありますが、よくよく考えてみるとコンピューターRPGの初期の頃からの宿痾みたいなものかもしれません。
コンピューターRPGでよく見られる、キャラクターの成長が能力値にダイレクトに反映されていくことで、ビキニアーマーの女戦士がトロールやジャイアントと張り合えるような筋力を持つことが可能なシステム。
そうしたゲームの世界では、世界を救うために人間であることをやめる冒険者たちの存在こそ、後々の不安の種になりそうな予感がします……。
「ダンジョン飯」のまともさ(11話ネタバレ含)
今期のアニメで毎回楽しみにしているアニメの中に「ダンジョン飯」がありますが、エピソード11の炎竜との戦いは、観るべきところがたくさんあって、個人的には本当に面白かった。
廃墟を利用して、炎竜を瓦礫の下敷きにするべく準備はしたもののうまくいかず、センシの大鍋で炎竜のブレス(舌打ちで着火させているという生態には、思わず「なるほど、その手があったか!」と感動した)を防ぎ、なんやかんやあって、最後にライオスは片足と引き換えに逆鱗への一刺しで炎竜を退治します(その後の回復痛のくだりは、魔法使いと僧侶が使う回復魔法の違いがほんの少しわかるのもいい)。
多分あの話の世界では、経験を経て成長していったとしても、急激な能力値の上昇はなく、登場人物はいわゆる「脳筋プレイ」ではなく、状況に合わせ経験から導き出した行動をするような気がします。
これはコンピューターRPGでは再現しにくい表現で、実際の人間に近いものです。
確かに見栄えはしませんが、理解や共感を得やすいのではないかなと、僕は思うんですね。
所詮は作り話なんだけどさ
まあ、重箱の隅をつついてヤイヤイいうのは野暮かもしれませんし、面白ければそんな細かいことはどうでもいいって人のほうが圧倒的に多いことでしょう。
アニメだったら、派手なアクションがビシッと決まって惚れ惚れするようなのがいいって僕も思います。
ただ、あんまり人間離れされてしまうと「どうせ今度も勝つんでしょ?」みたいな感じになって感動しにくくなりませんか?
だから僕は、いわゆる「俺強え」系の話が苦手なんです。はい。
「だったら観るなよ」って話なんでしょうけど「話としては陳腐でも、アニメとしてはとても好き」ってのもあるんだから、しょうがないじゃん?
この記事が参加している募集
もしあなたが、僕の記事を気に入ってくださって、もっともっと僕の記事を読みたいと思ってくださったとしたら、できれば支援をお願いできませんか?