三十五年くらい前のことを懐かしむなど
前回、バカみたいなことを酔に任せて書き殴っていた際に、僕が多分一番楽しく生きていた時期のことを少し思い出して、「あー、あの時は楽しかったなぁ」と懐かしい気分になりました。
年齢でいうと、十八歳から二十歳くらいの間でしょうかね。
その頃僕はデザイン系の専門学校で工業デザインを学んでいて、マーケティングの真似事やコンセプトワークの上積みだけすくったような浅い考えを周りに熱く語りながら、「他人とは違う出来るヤツ」を演じでいだのだと思います。
ただ、周りも似たようなもので、徐々に「あー、やっぱりそうだよなー」って気持ちになって、周りとの間にできていた精神的な壁もなくなり、気がついたら数多くの友人たちと昼間はデザインについての議論に交わし、日が落ちてからは酒を飲みながら馬鹿みたいなことを延々と語り明かしていた気がします。
騒ぐだけの酒だった
前回の記事に書いた「二時間飲み放題食べ放題歌い放題」の店も、そんな馬鹿みたいな語り場の舞台になってて、当時は勢いガンガンと酒をあおっては、普段は言えないような、本当に本当に青臭いようなことを語ると言うより叫んでいたような按配で、今にして思えば不穏な酒呑みだったかなぁ。
酒やツマミの味とかどうでもよくて、とにかく酔っ払って、現実感を失った先にある何かを掴んでみたかったのでしょう。
確か夏の合宿の夜に、専門学校の講師の方と酒を酌み交わす機会があって、その時に講師の方がフォアローゼスをくいっとやりながら、デザイナーという生き方について滔々と語ってくださったのですが、どれだけバーボンをあおってもシャンとした姿で崩れることなく語る姿に、「あーこの人カッコいいなぁ」と思って、この人の講義は真面目に受けるようになった。
そういえば、学生の間にちょいとやらかしたことがあって、その時も相談に乗ってもらったのも、この講師の方だった。
かなり世話になっているにも関わらず、世間との向き合い方が下手すぎて、そのことを思い出したのが、今この瞬間なのだから、なんともまあ不義理をしてしまっているなと、今更思ってしまった。
ともかく、その時に騒ぐ以外の酒の使い方を、知ることになったわけですなぁ。
懐かしい時間
夏季休暇の間、学校のアトリエに泊まり込みで競技用の車両を製作していて、夕方になると近所の町中華(当時は「せいりゅう」、今は多分「ノアール」って店名になってると思う)で青島麦酒なんかを呑みながら、作業の進捗なんかを話しつつ、そこから何故かよくわからない猥談に発展したり、なにやら深刻な話に転がったりして、毎日二時間くらい楽しく飯を食い、酒を呑み、馬鹿話に花を咲かせていました。
まあ、酷く騒々しい、マナーの「ま」の字も把握できてない、迷惑な客だと思うんだけれど、店主さんは笑顔で迎えてくれて、時々僕らがビールを注いであげたら、それを呑みながら「おまかせ」でちょい高めのおつまみを作ってくれたりして、卒業してからと度々足を運んで、僕の好物の「ちゃぷすい」を食べたっけなぁ。
町中華で食事をした後は、自販機でビールなんかを適当に買ってアトリエに戻り、ひたすらFRPを研磨してバテを盛って、パテが乾いたらさらに削ってを夜通しして、いつのまにか倒れるように寝て、気がついたら朝になってて……。
そんな、幸せな毎日がそこにあったんだよなぁ。
僕の専門学校時代の半分くらいは、そんなアトリエでの泊まり込みにあったと思う。
戻れない日々と帰れない僕ら
当時は多分、FRPの粉塵に塗れながら「こんなクソみたいな作業、早く終わって欲しい!」と願っていたんだろうけど、今にして思えば幸せな日々だったんだよなぁ。
ダラダラ作業してても、後からやってきた先輩方がワイワイと楽しく手伝ってくれて、尚且つ昼間からビール呑みつつビーフジャーキー噛みながら作業してても、注意されるどころか「おう一本くれぇ」と一緒になって呑みながら、馬鹿話に花を咲かせて作業して良かった。
こんなことを今したら、即時解雇に十分な理由になるだろうけど、それが許されたんだから、なんともおおらかな関係だったなぁ
夏休みだから、講師の方も来なかったから、本当にフリーダムで過ごしやすかったなぁ。
終電逃したら、そのまま泊まってもゆるされたし、アトリエが閉まっていたらちょっと歩いてデニーズで朝までコーヒーを飲んで始発を待ってた。
そんな中で、いろんな馬鹿馬鹿しいことや、恥ずかしいことを、学校や盛場に置き去りにして、いつのまにかこんなオッサンになってしまった。
あの頃に帰りたいと思うことが多々ある。
でも、あの当時に戻ったら、FRPのチクチクした粉塵に塗れて、好きだった女の子を先輩に取られたり、名古屋駅のド真ん前で大泣きしながら痴話喧嘩したりと、割と恥ずかしかったりキツかったりするイベントも追体験するのだろう。
だから「あの頃に帰りたい」と思っているくらいが丁度いいのだろう。
あの手のイベントを、今から体験してしまうと、多分恥ずかしくて死ぬ。
だから、懐かしむくらいが丁度いいんだろう。
と、僕は思うわけだ。