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過去のnoteを読み返す
※トップ絵は、Spellaiに、以前に描いていただいた「パソコンを使って日記を書く女の子」の別バージョンです。
一体、どんな環境なのか理解できないんですけど、それもまたヨシってことで。
何度か書いたかもですが
このアカウントでnoteを始める前にも、本名でnoteを書いていた時期がありまして、先ほど、その頃のnoteを読みながら「ああ、そんなこともあったよね」と同時を振り返っておりました。
僕には、そういう変な癖があって、かつての自分の考えていることや、置かれている状況を振り返って、ダメな奴には変わりないのだけれど、それでも自分はよくやっているし、頑張ってきたのだと、僕だけだけれど褒めてあげたくなってしまうわけだ。
そんなわけで、久しぶりに昔書いてたnoteを読んでいた。
一番最後の記事は、初代のウサコが故障してドナドナされていった写真が貼られていて、こちらに転居してからも、ちょっとだけnoteに何か書いていたんだなぁと驚かされた。
……そんなこと、全く覚えてなかったんだよね。
ブレブレ人間なりに
僕いう人間は忘れっぽいし、気まぐれだし、何かを熱に冒されたように始めたとしてもすぐに飽きてやめてしまうような、芯のないブレブレ人間なんだけれど、形を変え、場所を変え、ネットに何かを書き綴ることだけは、かれこれ20年以上続けていることになる。
最初はGaiaXの簡単ホームページから始まって、カフェスタ経由してMovableTypeを運用し始めて、CMSをいくつか試したり、Blogサービスなんかを転々として、ひとつのジャンルのことを不定期更新ではあるけれど10年近く考え続けたり、かと思えば多忙にかまけて放置して今のようにnoteで鬱憤晴らしたりして……。
本当に節操がない。
哲学もない。
資質もない。
お金も運も気力もない。
ないないづくしの僕だけれど、それでも書くことだけはやめられなかったんだ。
読まれたら読まれたで嬉しいし、反応があれば心地いいかもしれないけれど、それが仮になかったとしても、何かを書くことだけは、なんだかんだ言ってやめられなかったんだ。
その理由が、少しだけ分かった気がした。
仮に世界が認めなくても
僕は本当にダメな人間で、僕は僕自身が好きではない。
世の中的にも借金で首が回らなくなってゴメンナサイしているような有様だし、以前からこだわっていた仕事からも逐電して、今では日々の糧のために身体を擦り減らして働いているわけで、持っているものをことごとく無くして、今あるのは病気がちの奥様だけだ(物扱いして申し訳ないけれど)。
それでも、過去に自分が考えたことや、過去に自分が書いたものだけは、何故か嫌いになれないし、むしろ「よく書いた!」と思うことさえある気がする。
そして、昔のnoteを読んでいて、気がついだよね。
「あ、僕は『いつかその文章を読むかもしれない自分』に向かって何かを書いているのかもしれない」って。
例え世界が僕のことを否定しだとしても、僕は僕の考えたことや書いたことだけは否定しないし、多分できないんだと思う。
いや、まあ、中には「それはダメじゃん」ってのもあるのかもしれない。
でも、それを書いたこと、書かれたことに関しては、多分否定できないんだと思う。
だからこそ思うんだ
「次の機会にこの記事を読む僕に対して、恥ずかしくない記事を書かないとなぁ」なんてことを。
才能とか、ないんだもん。
他人からの評価とか、どうでもいいや。
noteを書かれている人の中にも憧れる人はいるし、作家として活躍されている方の中にも尊敬する人はいる。
けれど、そんなことはどーでもいいや。
僕はこれからも、僕が読みたいことを、書きたいことを記事にしていこうと思う。
昔のnoteを読んで、そんなことを思ったんだ。
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