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【人工知能と製造業そして】

ジェフ・ホーキンスが

AIのことを本に書いていた。



AI=人工知能のことを

正確に理解するということは、

脳の働きを正確に理解することと

同じことだと書いていた。



ジェフ・ホーキンスは、

型破りな脳科学者で有名だが、


どこか信憑性が増して聞こえてしまう。



ただ、

その言葉を自分自身は、

「何を頭に浮かべながら聴いているのだろう」



それは、

すでに答えが出ている。



自分がひたすらに

追求し、研究している

言葉や単語のことである。





ジェフ・ホーキンスは、

考えるコンピュータを作ることを

考えた。



その「考えるコンピュータ」を

作るために必要なことは、

「脳」を理解するということだった。

意識とは、知識とは、知能とは、人間とは。



それは、

何もない広野にポツンと転がる

石ころのように

途方もなく、

何をしたらいいのかもわからないほどに

むつかしい問いを目の前にしていたように思う。



僕は、製造業で四半世紀勤めている。

それだけ、長くそれなりに

情熱を持って仕事に取り組んでいる。



それなりに長い期間には、

それなりに大きな問題を前にしたことが

度々ある。



果てしなく難解で、

途轍もなく困難で、

やるせないほどに、無能な自分が

どうやって乗り越えればいいのかを

ヒントですら浮かばない問題を前にしたこともある。



ただ、

ジェフ・ホーキンスとは言わないが

途方もなく、大変な問題を前にしたとき

その「大変さ」には

2種類あると思っている。



物理的「不可能」なのか

心理的「不可能」なのか



物理的に不可能であれば、

その「物理的」な尺度を変える道具を使う。



心理的に不可能であれば、

その「思い込み」を取り払うような

視点の変化や、枠組みの変更を必要とする

かもしれない。



ただ、

それよりもはるかに簡単なのは、

とっても大変だけど

『時間をかければなんとかなること』だった。



たとえば、

同じ寸法の同じ製品を

500万個を納品したとする。

その製品の中に「違うカタチの製品」が紛れ込んでいる。

こういった場合、

その対策は、

「500万個の選別」という作業。



これらを、

一昔前までは、

「ひとの目で、ひとの手で、一つずつ選り分けていった」

ただ、

このとき、

10人でやれば、

最初は、ゆっくりだけど

だんだん要領を掴み、

飛躍的に、選別作業のスピードがあがり、

簡単な道具を作ったり、

違うカタチの特徴の共通了解が広がり

思いのほか、

早く終わることがある。

「とても大変であることに変わりはないけれど、

大切なことは「やれないことはない」

ということだと思う。



どうしてこんな話をしているのかというと

かれこれ、

10年以上かけて

作っているものがある。



その作っているものが

自分にとって、

文字通りの「ライフワーク」であり、

自分自身そのもののような作品である。



レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、

それはモナリザであり、

自分にとって

それは「辞書」を作ること。



それは、

広辞苑や新明解国語辞典ともまるで違う

wikipediaでもなく、チャットGPTとも違う。



「ほんとうの辞書」を作っている。



それぞれの専門家にまっすぐに

繋がる辞書であり、

それぞれの批評家にまっすぐに

繋がる辞書であり、

精度が高く、

主観的な要素を限りなく少なく、

客観的な要素を少しでも担保できるようなカタチである。



少なくとも「自分」にとって

これ以上にワクワクする

辞書は、世の中にはないし

これ以上に思い切ったことを

している本を見たことがない。



まず初めに

印刷ですらない本を

作っている人に

あったことがない。





ジェフ・ホーキンスからはじまって、

レオナルド・ダ・ヴィンチを経由し、

製造業の問題点を折り返し、

自分のやっていることに帰着した。





この言葉を読んで

自分の問題や悩んでいる物事に

それぞれが帰着し

それなりに誤解してもらえれば

本望です。
















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