無意味な校則、その目的は校則を守らせることそれ自体にある。すなわち、何をするかわからない子供の行動を規制すること、先生たちが子供を扱う管理コストを下げることにある。そしてもう一つ、より重要なのは子供たちに学校の指示には従う以外の選択肢は無いことを知らしめることにある。だから、むしろ無意味な校則であればあるほど意味がある。無意味な校則に強制的に従わせられることで、子供たちから思考力や抵抗力が奪われてしまう。そうやって身体的にも精神的にも子供達を隷従させていく。権力者にとって都
歌のマリーは、最後が「君はきっといい子になれるはず」で終わるのに違和感を感じていた。最初に「ある日見た夢の話」とあるけれども、マリーがあまりにかわいそうだと思った。マリーが死ぬことで感情のない死神が涙をこぼす。マリーの死に直面したことで悲しいとか寂しいとかいう感情を知って、それでいい子になれるのだとしたら、マリーは君がいい子になるための犠牲になったように感じてしまうからだと思う。 というわけで歌の元になった(どっちが先かはわからないけど)絵本を読むと、「人はね、生まれる
養老先生の家の猫のまるが昨日亡くなったそうだ。合掌