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昭和の常識 令和の非常識

前回、厳しかった師匠にネック裏に画鋲を貼られていた
という話をしましたが
実はコレってウチの師匠だけがやっていた特別な事ではなく
割と私の世代でヴァイオリンをやっていた子なら
普通に通ってきた道でした。
今なら児童虐待だ!となりそうな炎上案件ですが
当時はソレが当たり前だったのです。
昭和は良かったー!とかそんなノスタルジーは全く無くって
絶対に現在の方が全てにおいて恵まれてますよ。

昭和の常識 1
スマホどころかガラケーも無い
パソコンもインターネットも無い
Youtubeも無いしBlue-RayもDVDも無く
CDですら開発~普及の時代でしたから
TSUTAYAでレンタルして聴くなんて事もできませんでした。
演奏の手がかりは楽譜しかなく
お手本の演奏を観る機会も聴く機会も殆どなかったです。
LPレコードを買うか生の演奏会を聴きに行くかしかなく非常に高価
師匠の演奏以外で他人の演奏聴いた事ほとんどなかったです。
ですから憧れの奏者や憧れの楽曲とか全然無かったんですよ。

昭和の常識 2
A=440Hz だった
当時はチューナーって弁当箱みたいにデカくて高価
大学の研究室に有る特別なものでした。設定も440Hz固定です。
調弦は440Hzの音叉でやってましたね
いつのまにか442Hz調弦の時代になっていましたが
正直ちょっと違和感を感じています。
メトロノームも手巻きゼンマイの振り子式しかなかったですね

手巻きゼンマイ式メトロノーム

昭和の常識 3
ヴァイオリンケースは木製で重かった
今のようなファイバー素材のケースは有りませんでした。
で、なぜかケースには手持ちの取っ手しかついてなくて
背中で背負うストラップ付いてなかったですね。

昭和の常識 4
弦はオリーブかドミナントぐらいしか売ってなかったですね。
Amazon等の通販もなかったので街の楽器屋に買いに行ってました。
松脂もミランの通称クロネコぐらいしかなかったですね。

ミランの松脂 通称クロネコ

昭和の常識 5
ブリッジ型の肩当てが一般的ではなかったです
そもそも肩当ての現在の標準メーカーKUNですら無かったです。
ブリッジ式だとセンパープリムスかメニューイン
高さも角度も調整できない固定式です。
どちらも生産終了で今では手に入れるのはとても難しいです。
座布団式というか当て布というかで嵩増ししてる人が多かったかな?
私も分数楽器時代は肩当て使ってませんでした。

Semper Primus

ホント令和って素晴らしい!


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