生成系AI(AI作曲)について考えていること
高度なAI作曲が間もなく登場すると見て間違いはありません。
イラスト生成系AIの登場は、この先何が起こるのかを暗示するのに充分過ぎるインパクトを持っていました。殆どの芸術家は敏感に反応したように思います。あらゆる領域のフィールドで、この先自分が関わっている仕事がAIや機械化によって失われるのではないか?また、自分が取り組んでいる創作活動が生成系AIに完全に呑まれるのではないかという虚無感、危機感を抱いたのではないでしょうか。こういった感情は正当なもので、それ自体健全な反応だと考えています。問題の焦点は「これからどうする?」です。
恐らく大きく分けて3つの選択肢があると考えています。
①取り組んでいる活動を終える
②マイペースに活動を続ける(それはソレ、これはコレという立場)
③AIを上手く活用して学び続ける。AIを創作活動の一部に取り込む
他にはアーティストの活動を支援するという立場に回る。
それらの要素が少しずつ、かもしれません。
どの選択が最善に成り得るのかは、現時点では誰にも分かりません。
しかしながら、あらゆる活動の主たる目的は心的状態にあると考えられます。チクセントミハイ博士はこの状態をフロー(flow)と呼びました。彼の著書の中に出てくる言葉を借りれば、ー人間の最もニュートラルな精神状態はカオス(混沌)ーであり、高度な集中状態(忘我忘失・自意識の消滅)は心理的エントロピー(不安や無気力)を減少させる。そして活動が終了しフロー状態を抜け出した後は、より強い自我を持って人格が拡張される。とあります。
つまり活動の本質は心的状態であって、外発的な動機(金銭、名誉など)ではないということです。例えば金銭や名誉などは活動を行った際の副産物として得られるものであり、主たる目的ではないのです。
このような観点…つまり“行為そのものに意味がある”ことが活動の本質ならば、より個人の複雑性を増す方向で、試行錯誤しながら向き合っていくのが建設的で生産的な考え方だと思われます。逆にあっさり諦めてしまうと、これからこのような時代の変化は頻度が増すと予想されますので、別のところで去り、新しく始めたところも去り…というネガティブフィードバックループが訪れます。そのような状態は、自尊感情を損ない自己受容を妨げます。ですから個人の耐性を上げる意味でも、今回の生成系AIの出来事を一つの契機だと捉え、これまで試して来なかった新しい方法で向き合ってもいいのでは?と思います。
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