風が吹くだけで痛い? これが噂の…⑤
約束を破る最低な男。
金曜日。腫れも痛みもだいぶおさまったとはいえ、そこにはまだはっきりと、違和感以上の不快な痛みがありました。
認めます。
「痛みがあるうちは、絶対にこの薬を飲んだらダメ。約束ですよ♡」
若くて美人な女医Nせんせーと、交わしたかたい約束。その約束のもとに処方してもらった薬、フェブキソスタット10mg。体内でプリン体から尿酸を生成する酵素を阻害する、とある。手っ取り早く言えば、尿酸値を下げる薬。
ただしこの薬、なぜ痛みがあるうちに飲んではいけないのかというと、痛風の炎症が発症しているうちは、その炎症を悪化させてしまう危険性があるから、だそうだ。
血液検査の結果を、注意深くモニタリングしながらその処方量を最適化していく薬だ。これは最も少ない含有量で10mg。白帯。
黒帯に至っては、一回にこの6倍、60mgの薬が処方されるらしい。
今回の件で、いろいろとアドバイスを頂いたさとゆみゼミの同期、しゅうしゅうさんからは「痛みが完全におさまってから飲み始めたらいいよ。これから、長い付き合いになるんだからから」となぜか嬉しそうな口調で、ありがたい先輩の助言を頂いた。
でも。
きっと半分は、興味によるものだと思う。そしてもう半分は、これを飲んで尿酸値を下げ、早くあの忌々しい悪夢を追い払い、第二波の来ない体を手にしたいという焦りからだと思う(この薬さえ飲めば、スーパーで買い物する時にも、あ、これはプリン体が多そうだからやめておくか、など自らの欲求に抗うロックあらざる行動を、根こそぎ薙ぎ倒してくれる、そんな妄想と期待を込めて)。
そしてどこかに、小学生男子(ここでは47歳の僕)が好きな女の子(ここではもちろんNせんせーを指す)をなぜかいじめてしまうあの心理が、あったのだと認めざるを得ない。
それに、明日からは三連休だ。何があっても、何とかなるだろう。
僕はNせんせーとの約束を破り、禁断の薬を、初めて自らの体に摂取してしまったのだ。
夏の終わりの思い出。
夏の生ぬるい水道水と共に、喉を通過する錠剤を感じながら、僕の頭の中のNせんせーは、悲しそうな目でこちらを見つめていた。そして、少しだけ眉間に力を入れ、静かに、でもはっきりとした口調で言った。
「嘘つき…。」
ああ、なんと甘美と潤いのある言葉だろうか。男は、女性にこの言葉を掛けられたくて、日々無駄な無茶を犯すのだ。
「ち、違うんです(何も違わない)。本当に足の痛みはもうなくて(時々思い出したようにズキンと響く痛みがあります)。だから、そんな目で見ないで欲しい(もっとその悲しい目で睨んで欲しい)。嘘つきなんて言わないで(もっと冷たく言い放って欲しい)。僕はあなたのために絶対に嘘はつかない(何度でも嘘つきと言われたいから、何ならもう、嘘しか言わない)。」
さようなら、Nせんせーとの甘い約束。
3日しか、守れなかったけど、僕はとても幸せでした。
おわかりの様に、こんなアホなことを書けるほどに痛風発作はおさまり、僕はフライングして尿酸値を下げる薬を飲み始めた。
次は、1ヶ月後。血液検査をする予定だ。
その時、どんな結果になるだろうか。Nせんせーは、どんな表情で、どんな言葉を投げかけてくるだろうか。
この夏、僕はあるひとつの初体験をした。
それは痛みを伴う経験で、その痛みは永遠だと錯覚するほどだったけど、夏と共に、一瞬にして過ぎ去ってしまった。
僕は、またひとつ、大人になった。
9月の半ばになっても、まだ30度を超える暑さの今日、少しだけ救われたのは、風が吹いていたからだ。
答えはいつも、風の中。