ケロサウナで感じたトントゥの存在〜神戸サウナ&スパ〜
8月初旬、朝6時。土曜日だということもあり、三宮駅前の人通りも少ない。すでに太陽は無責任な放熱を始めている。昨夜泊まったビジネスホテルから徒歩数分、腕がジリジリと音を立てて日に焼けている。
会社の夏休みを利用して訪れたのは、サウナ好きなら誰もが知る神戸の名店「神戸サウナ&スパ」だ。僕は初来訪。
まるで一流ホテルかと思われるフロントを通り、ロッカールームへ。
毎度のことながら関西スタイルに戸惑う。いったん館内着に着替え、階をまたいで浴室へ。浴室にどうやって入るのだろう?サウナパンツをはいたまま?全裸?
恐る恐る浴室内を覗く。
良かった。全裸のおじさま方が見える。
体を洗い、さっそくサウナへ。
サウナ室は4つ。
全て気持ちよく入らせてもらったが、やはり、この施設の特筆すべきは露天スペースにある「フィンランドサウナ」だ。数年前にリニューアルしたニュースを聞いてから、ずっと入りたいと願っていた。
木の宝石と称えられるケロ材の丸太で作られたそのサウナは、外観が黒銀色に輝く。圧巻の面構え。扉は、適度に重い。開けると仄暗いサウナ室から、出迎えの熱気が僕の腕を取り、中へと誘う。ゆっくりと一歩を踏み出す。
いるな。瞬時に、そう思った。
暗い室内を手探りで進み、ベンチに腰掛ける。ゆっくりと、深呼吸。
ここにいるのは、羽根の生えた軽やかに飛び回るタイプのそれではなく、あまり動かず、ドスドスとゆっくりと歩くタイプの妖精だ。
トントゥ。タイトル画像、「天然温泉」の文字の下、モアイ像に似た岩の彫刻が、トントゥだ。北欧地方、サウナの守り神と言われている。
サウナ室には、僕以外(客は)誰もいない。トントゥは、ストーブの裏と、部屋の隅に、二体確認できた。いや、正確には、二体いる様な気がした(正確にトントゥがいたかどうかは、この際あまり重要ではない。いた様な気がした。それだけで僕に取っては神秘的で素敵な出来事だったのだ)。
一杯、ロウリュしてみる。
しゅぅぅぅぅ…。
高温の石が水を吸い込む様だ。濁音のない音。熱の拡がりもゆるやか。
通常のロウリュであれば、じゅぅぅぅ!と、石が水を一気に弾き、気化させる音が響く。しかし、ここはあくまで静かに、優しく。トントゥの住む世界は、人間の常識とは違うものに包まれているからだろうか。時間の流れも、ねじれている様な錯覚に陥る。その流れが早いのか遅いのか、そもそも今が何時なのかもわからなくなってしまった。そんな事を考える事自体、ここでは無意味だよな、そう思って、僕は1人、鼻で笑った。トントゥが一瞬こちらを見た気がした。大丈夫、下手に寄ってこないのが、彼らの歓迎の証だ。
小さく切り取られた窓からは、外が見える。この丸太小屋、中は驚くほど静かだ。ベンチや壁に手を当てる。ケロから発せられる地球のエナジーが、僕に伝わる。マグマや海などのの活きたそれではなく、僅かだが、でも決して消えることない、芯のあるエナジー。それが、心地よく僕に流れ込んでくる。あまりの静かさに、ここが神戸三宮、駅の近くだということを忘れてしまう。いつもより発汗が清く感じられるのは、現世と、きっと人あらざるものたちの狭間に僕が今存在していることと無関係ではないだろう。
何年もの悠久の時の流れが、この空間には渦巻いている。深呼吸するたび、僕は枯れ、同時に大いなるエナジーに満たされていく。矛盾した感覚が、1セット目の僕を、早くも流離(さすらい)に導く。
ご存知、ここの水風呂は11.7℃だ。
震災の日付が刻まれている。
掛水をして飛び込めば、末端から電気が流れ(もちろん、冷たさの比喩表現)、身体中が心地良い痺れに包まれる。
時計を見ると、AM6:20を指している。これほどまでに贅沢な休日の朝の過ごし方が、他にあるだろうか。空はすでに目が痛くなるほど、青い。
僕は水風呂から上がり、ケロ材の丸太ベンチに腰掛け、昔のことを思い出していた。
もう、30年も前の話。
僕の通っていた高校の修学旅行は、当時のお約束通り、京都奈良方面だった。中学校時代と一緒だ。
そこで、何人かの洋服好きな連中を集い、自由行動日に神戸を訪れた。目的は、高架下の古着屋さんだった。さすがにほとんど記憶は薄れかけているが、高架下の特集が組まれた若者向けファッション誌の地図を片手に、初めての街を散策したことははっきりと覚えている。何点かの古着も買った。
それが、1994年12月のことだ。
その約1ヶ月後、神戸は震災に見舞われることとなる。
三宮駅近くの高架下が、当時僕たちが訪れた場所かどうかは、もうわからない。
朝、ホテルから神戸サウナ&スパまでの道中に、高架下をくぐった。人影はまばらだったが、真っ直ぐ伸びたその通りは、きっとあと数時間で賑やかな通りになるだろう。映像でしか知らないあの大きな震災から、ここまで完璧に復興を遂げた神戸の街に、圧倒される。当時の記憶では、もう少し雑多な雰囲気だったが、ゴミ一つ落ちていない美しい高架下だった。
そういえば、この神戸サウナ&スパ自体も、被災して被害が大きかったという。
あの日以来、それまでと同じかそれ以上に、ここは多くの神戸人を癒し、活気づけてきたに違いない。
それを見守り続けてくれていたであろうトントゥに、僕は心の中でありがとうと呟いた。