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セピア色の記憶が、再び色づく時〜「リインプリント」体験で感じた幸せな時間〜
ユニーと叔母と
母の実家には、子供の時からお世話になりっぱなしだった。
特に幼少期には、毎週末のように僕は母の実家に預けられ、お泊まりした。女4姉妹の次女だった母。その家での初孫、それも男の子の僕は、その性別だけでも珍しがられ、そして可愛がられた。
特に母の姉(叔母)には、その後もずっとお世話になり続ける。生涯独身だった叔母には、両親に内緒で、よくお小遣いを貰った。お泊まりの翌日には、よくユニーに連れていってもらった。ユニーとは、当時静岡県富士宮市にあった総合スーパーで、中にはハトヤというおもちゃ屋さんも入っていて、そこで何か買ってもらうのを楽しみにしていた。今でいう、AEONの小型版の様な店舗だ(サムネイル画像の丸と半丸の建物がユニー)。
このユニー、駐車場の作りがユニークだった。建物の屋上に駐車場があるのだが、今の様に立体となっていて、上り坂を運転しながらのぼるのではない。屋上駐車場へと続く専用エレベーターに、車1台づつ乗車したまま乗り、エレベーターが開くと屋上駐車場に到達しているという構造だった。帰りは、その逆。車ごと、薄暗く無機質で鉄骨のエレベーター内に閉じ込められても、不思議と恐怖心よりワクワクしていた。きっと、その後に訪れるであろう楽しみに包まれていたのだと思う。屋上のフェンス越しに富士山がとても綺麗に見えたのを覚えている。
残念ながら、もうユニーは建屋ごとない。現在は富士山世界遺産センターの近くでドラッグストアに建て替えられている。
何年経っても僕の記憶に残る叔母との温かい思い出だ。
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現在のユニー跡地辺り
心理学カウンセリング?
そんな幸せな記憶の中に、はっきりと入り込み、追体験をするという、不思議な時間を過ごした。
近藤さんは、さとゆみビジネスライティングゼミで同期として学んだ仲。そんな彼女が、最近心理学の勉強を始めたという。その被験者になってくれないかという申し出を受け、喜んで時間を作った。
僕は心理学に対しては全くの無知だったが、それ故の未知なる世界に興味だけはあったのだ。さらに、同じゼミ仲間に協力できるのであれば協力したい、そんな思いもあったと思う。当然、軽い気持ちで受諾した。
土曜日朝8時から。PC画面越し、ZOOMにて。休日の朝、家族はまだ寝静まっている。僕は、しっかりと朝食を食べ、コーヒーを飲みながらPCの前に座った。
近藤さんは、普段は小児科の看護師として働いている。本人の人柄を知ってはいるとはいえ、画面越しにも、明るく、快活な性格であるのがよくわかる。話すとこちらまで元気になるタイプの女性だ。
まずは、本日おこなうカウンセリングについて、近藤さんから簡単な説明があった。昔の嫌なことやつらかったことを、思い出す時間があるかもしれない、特にそのことに対して、近藤さんは何度か僕から了承を取った。きっと、今回のポイントになる要素なのだろう。
人生において、大したトラウマも持たない僕にとって、どんなつらい思い出さえも平気だ、だから遠慮せずにカウンセリングをおこなって欲しい、近藤さんにはそう伝えた。
カウンセリングは、集中のためだろうか、ZOOMの画像をお互いオフにして、音声だけでやり取りする。最初の質問は「最近あった嫌なこと」だった。僕はゆっくりと、丁寧に質問に答えていった。なるほど画像がオフの方が、目を閉じて集中できる。そして、近藤さんの問いかけによって、記憶は過去へ過去へ遡っていく。
カウンセリングの詳細な内容は、今回は割愛させて頂く。現在と過去をリンクさせ、昔の嫌な思い出を、素敵なものに書き換える、ひとことで言えば、そんな体験だった。
缶蹴りゲームの残酷な幕切れ
ある秋の夕暮れ、たぶん日曜日だったと思う。
小学校1年生の僕は、普段住む家から10kmほど離れた母の実家近くで、その周りに住む子供たちと一緒に遊んでいた。毎週末の様にやってくる僕を、通う小学校が違えども簡単に受け入れてくれる風習が、当時まだ存在していた。みんな僕より2つ3つ年上だった。中には6年生もいて、僕から見たら完全に大人だった。10人ほどでよく遊んでいた。
小さな川でカニを取ったり、竹藪の中で隠れんぼをしたり、時には誰かの家にお邪魔してファミコンに興じたりしていた。田舎によくある普通の光景。
その日は、仲間内メンバーの家の庭で缶蹴りをして遊んでいた。広い庭で、家も母屋だけでなく物置小屋や倉、屋根付きの駐車場などあり、近所では「おおやさん」と呼ばれていた。きっと昔からこの辺りの地主的な存在だったのだと思う。缶蹴りの隠れ場所にも困る事がなく、おおいに盛り上がった。
何度目かの缶蹴りが開始され、隠れ場所を探していると、おおやの息子が僕に「いい隠れ場所があるから来いよ」と言い出した。黙って彼の後について行くと、彼は屋根付きの駐車場の階段をのぼり始めた。
「しー。静かにのぼれよ」
階段は鉄製で、抜き足差し足でのぼらなければ、カンコンと金属音が響いてしまう。僕らはつま先だけで注意深くのぼっていった。
屋根は立派なコンクリートで出来ていて、周りには安全柵まで張り巡らされていた。じゅうぶんにBBQができる広いスペースだ。初めてのぼった小高い屋上からは、入ることのできない近くのフイルム工場の敷地内が見えた。あの壁の向こう側はあんなふうになってるんだ、と興奮したことを覚えている。
屋上でおおやの息子と腹這いになり、見つからない様に鬼の様子を探った。鬼は、最年長の6年生だった。屋上からは缶蹴り会場全てを見渡すことができ、鬼の動きも丸見えだった。
「ここ、無敵だろ?」
おおやの息子は得意げに言った。彼は確か、4年生だった。
最初は、絶対に見つからないであろうこの場所で優越感に浸っていたが、そのうち、全く見つからないことに飽き始めてきた。
「少し鬼をからかってやろーぜ」
彼はそう言うと、屋上の隅で剥がれかかっていたコンクリートの塊で、安全柵を叩いた。カーンと乾いた音が響く。鬼はキョロキョロするだけで、まさか僕らが屋上に潜んでいるとは全く気づかない様だった。
それを3回ほど繰り返したが、鬼は勘づく気配がなかった。
おおやの息子は痺れを切らし、その大きなコンクリートの塊を、安全柵の向こう側に放り投げた。
パーン!
投げられたコンクリートの塊が、舗装された庭に落ちて激しく割れた音が響いた。鬼と、一瞬目が合った。おおやの息子は伏せて隠れていたので、僕も真似をした。
鬼が「おい!」と怒鳴ったのが聞こえた。
勢いよく鉄の階段を駆けあがる足音が近づいてくる。
鬼役の6年生が、明らかに激怒した顔で走り寄ってきた。
「屋上はルールで禁止のはずだぞ!」
僕はその時初めて知ったが、きっと、彼らの中で前から決められていたルールなのだろう。
「コンクリート投げたのは誰だ?危ないだろ?誰かに当たったらどうするんだ?」
6年生は興奮しながらも、至極真っ当なことを早口で捲し立てた。
僕がこの40年前の出来事を、今でもはっきりと覚えているのは、この後おおやの息子がとった行動があまりにも衝撃的だったからだ。
おおやの息子は、すっと人差し指を僕に向けて「こいつがやった」と小さいけど、はっきりした口調で言った。
「こいつが屋上に隠れようって言い出したんだ。俺はルール違反だからダメだって言ったんだけど」
何を言っているのか理解できず、僕は相当間抜けな表情をしていたはずだ。おおやの息子を見ると、半笑いで「な? そうだよな?」と同意を求めて来たのだ。
瞬間的な出来事に、僕は泣いていた。泣くつもりなんかなかったのに、泣いていた。
違う、僕じゃない。
声にもならない泣き声で、僕は泣き続けた。無実を訴えようとすればするほど、上手く声を出す事ができない。7年ほどの短い人生で、間違いなく最も大泣きした日だったと思う。
僕は6年生に、身の潔白を声にならない声で説明した。全部嘘だ。全部おおやの息子が言い出して、おおやの息子がやったことだと。
6年生は、僕の大泣きに少し戸惑いながらも、はっきりと言った。
「お前がやったんだろう?コンクリートが落ちて来た時、お前しか見えなかったよ」
いつしか、遊んでいた子供達全員が屋上に集まって来ていた。
悔しさ?
悲しさ?
さみしさでもなく、怒りとも違う。僕の胸の中にぐるぐると言葉にならない感情が渦巻いていた。
そのうちに、僕のあまりの大きな泣き声に驚いたおおやのお母さんが母屋から出て来た。そのすぐ後には、叔母もやって来た。数件先の叔母の家の中まで泣き声が聞こえて来たらしい。叔母は6年生から全ての事情を聴いたあと、「帰ろう」と言った。
秋の夕暮れの冷たい風が、濡れた頬にヒリヒリとしみた。胸の辺りまでヒリヒリとしみた。
叔母と手を繋いで帰った。叔母は、帰り道、僕の話を黙って聞いてくれた。
これは記憶の書き換え? 追体験?
あまりに大きな声で泣く僕の迫力に根負けしたのか、おおやの息子は、突然「あー、ごめん。全部嘘。屋上に誘ったのも俺。コンクリート投げたのも俺。こいつはここにいただけなんだ。おい、犯人にしようとして、ごめんな」と言った。
僕はその日、2度目の間抜けな顔をした。
「なーんだ、お前じゃなかったのか。疑って悪かったな」6年生は大きな手のひらで僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「もう一回、缶蹴りやろうか?」6年生はそう言うと、屋上にいた全員を下におろして「おい、おおや。今度はお前が鬼な」そう言って250ccのサビついたアルミ缶を大きく蹴り上げた。
いつの間にか涙は乾いていたし、あれだけ嫌な思いをしたはずなのに、不思議と心はすっきりとしていた。
すっかり暗くなって叔母の家に帰ると、母がちょうど僕を迎えに、車で到着したところだった。まだ3歳の妹も一緒で、皆で叔母の家に上がる。
居間には掘り炬燵が敷かれていて、そこには祖父、祖母、叔母がいた。僕はその日の出来事を笑顔でみんなに話し、テーブルの上のみかんをひとつ食べた。テレビから笑点のテーマが聞こえる。
なんでもない、本当になんでもない、日曜日の夕方。
「宿題は終わってるの?」母に聞かれた。
あ、帰ったらやらなきゃ。
お分かりの通り、叔母と手を繋いで帰ったところまでが、僕の記憶だ。
そしておおやの息子が謝って来たところからが、今回の不思議な体験。
リインプリントで得られる幸せ効果
カウンセリングが終わり、再び近藤さんと画面越しに向かい合った時、温かいような懐かしい様な、幸せに近い感覚に包まれていた。
全くリンクしないはずの出来事なはずなのに、一番初めに近藤さんから質問された「最近あった嫌なこと」に対しても、ネガティブな感情は薄れていた。
そのことを近藤さんに話すと、きっと真剣にこのカウンセリングに向き合ってくれたからだと思う、ありがとうと嬉しそうにそう微笑んでくれた。その笑顔を見て、僕も少し嬉しかった。
NLPの「リインプリント」と呼ばれる手法だと、近藤さんは教えてくれた。
今回の体験で、僕は幼少の頃の自分と会い、すでに亡くなってしまった祖父や祖母や叔母とも話すことができた。嫌だったはずの思い出が、なんでもない幸せな日曜の夕方の一コマに変わった。
そう、とても幸せな時間を過ごすことができたのだ。
近藤さんに、感謝。ありがとう。
近藤さんは、100人無料セッションを実施していて、まだカウンセリングを受けてくれる方を募集しているそうだ。優しい彼女のカウンセリングで、あなたも、素敵な思い出を追体験してみてはどうだろうか?
思い出の中の、大切なあの人とも、再びお話ができるかもしれません。
おすすめです。