こないだ手をやけどした。
こないだ手をやけどした。
小さなやけどだった。水を当てて何とかなった。
小6の時、学期末の「お楽しみ会」で、家庭科室でお菓子を作った。詳しくは覚えてないので、もしかしたら牛丼だったかもしれないが、多分お菓子だったと思う。
その時もやけどをした。ちょっと大きなやけどだった。やけどの瞬間は覚えてないけど、その後、僕に注目が集まった記憶はあるので、多分大きな声を出したんだと思う。
保健室で氷嚢をもらい、お楽しみ会中はそれを水ぶくれした手に当て続けることになった。心配してくれた人も、笑ってくれた人もいた。
牛丼だったかもしれないものを食べたその後、教室に移動して、「大嵐」をした。椅子を内側を向くように並べて円形を作り、全員が座る。円の真ん中に立つ"鬼"が何か条件を言い(メガネの人 など)、それに当てはまる人は、一斉に席を変えなくてはいけないというゲーム。座り損ねた人は次の鬼になる。条件ではなく、『大嵐』というと強制的に全員を動かすことが出来る。地域によっては「フルーツバスケット」って名前らしい。
氷嚢をあてたまま、僕だってそのゲームに参加した。少し痛いけど、急いで席を移動することくらいはできる。
ゲームも進んだ頃に、「大嵐」が繰り出された。エネルギーを持て余す12歳達が、一斉に移動する。
ぶつかった感覚があった。
そりゃ「大嵐」なんだからそんなことはある。同じサッカークラブの千田君とぶつかった感覚があった。
「大嵐」が去った後、円の中央すこし外れに、小さな水たまりが出来ていた。
僕の氷嚢の中身である。
その場に水を携帯している人は僕しかいない。
しかし皆はその水たまりに気付いているのかいないのか、その水たまりを無視した。何人かは気付いていたが、ひと時の隣人と共有する程度で、円全体の議題には上がらなかった。
滑ると危ないので、先生が拭いた。流石に全員が水たまりに注目するが、議題には上がらなかった。まじの大嵐のあとのように、誰もが水たまりを当然のものとしているようだった。
いっそ、「おいお前こぼしてるじゃん!」「ちがうよ千田がぶつかってきたんだよ!」というようなやり取りをさせてくれた方が楽なのにな、と思った。12歳にそんなこと思わせるなよ。
手をやけどするたびに、これを思い出す。皮膚が一定数以上の温度を感知したら、脳にこれが浮かぶようにプログラミングされてしまっている。
僕には、大きなペットボトルを直飲みするたびに思い出す人がいる。その人は絶対にそれをしないと言っていたから。
僕には、道に落ちた手袋を拾ってガードレールに乗せるたびに思い出す人がいる。その人は絶対にそうすると言っていたから。
6年2組のみんなが、本当の大嵐の後の水溜りを見るたびに、僕を思い出してたら嫌だな。
思い出すわけねーか。