基礎研究に使う予算は増やすべきか?

序論

日本人ノーベル受賞者が出ると毎回のように言っている「基礎研究に使われる予算が減っているので拡充すべき」という話、どう思いますか? ということで、今回は「役に立たない」基礎研究に国家予算を使うべきなのか、使うとしたらどう分配すべきかについて述べたいと思います。

「役に立たない」研究とその応用

まず、「役に立たない」基礎研究とは何かということについてです。究極的には世の中で行われている研究の中に役に立たないものはないと思います。世の中の大学なり研究機関では費用に見合った結果が得られることが求められていますので、本当に役に立たないようであればまずそもそも行われていないというのはあります。ここで述べる「役に立たない」というのは、非専門家から見て日常生活に直接的につながる応用が見えないために役に立たないように見える研究ということです。例えばコロナウイルスの構造を調べる研究というのは将来的に治療薬やワクチンに使えそうなことは素人目に見てもわかるので、仮に当事者は基礎研究だと思っていたとしても筆者の分類では役に立つ研究です。世の中にはもっとずっと基礎的で何に応用されるのか全くわからないような研究が存在します。最近話題になったものでは重力波やヒッグス粒子の発見です。これ、何か日常生活の役に立つと思いますか?筆者はその方面への理解がそこそこある物理学者ですが、特に日常生活の役に立つ応用は思いつきません。そんな研究に何千億円ものお金が注ぎ込まれているわけですが、果たしてそれは妥当なのでしょうか?

文脈から最終的な答えが妥当であるという結論になることは予想できた人も多いと思います。結論から言えば妥当なのです。しかも国民の納めた税金から出てくる国家予算を使うことが。それはなぜかというと、過去の例を見る限りでは、当時の科学ではとても応用があるとは思えなかったような基礎的な研究であっても100年後の現在では技術の基礎になっているという例が多く存在するからです。例えば電磁気学がそうです。電磁気学を完成させたのはマクスウェルですが、彼は電気と磁気理論の統一的な理解を求めて基本方程式であるマクスウェル方程式を提唱しました。別に特定の何かに使うことを目的として電気と磁気の統一理論を作ったわけではないです。この方程式を解くと空間を伝わる電気と磁気の波、電磁波があることを予言したのがマクスウェルの功績です。ヘルツは実験室の1箇所で放電を起こして火花を飛ばすと別の場所にあるC字型の金属のループの両端でほぼ同時に火花が飛ぶことを見つけました。これはマクスウェルが存在を予言した電磁波による現象でした。さらに、この現象が無線電信に使えることに気がついたのがマルコーニです。結果、現代の電波を通じた通信に至っているわけですが、マクスウェルの理論がなければ携帯電話は開発されなかったといえるでしょう。

さらにわかりやすいのはアインシュタインが提唱した特殊及び一般相対性理論です。これによると光速に近い速度ないし非常に強い重力場の中にいる人の時計は静止していたり重力がない場所にいる人の時計より遅く進むという結論が得られます。アインシュタイン は電磁気学と互換性がある座標変換の理論(あるいはもっと世の中でよく言われている話を使えば光の速さが一定になる座標変換の理論)として特殊相対性理論を、加速する系と重力場を統一的に扱う理論として一般相対性理論を提唱したわけです。特殊相対論が1905年、一般相対論が1915年に発表されています。このような極限状態で効果がはっきりと現れる理論に応用はあるのでしょうか?

この答えはGPSです。GPSは相対性理論を使った補正をしないと正しく動きません。それは、GPSの人工衛星が地球の周りをそれなりに速い速度で回っていること、宇宙空間にあるために地表に比べて重力が弱いこと、そしてその微妙な速度や重力の変化でもわずかに生じる時間の遅れを検出できるだけ正確な原子時計を搭載していることが関わっています。ここで重要なことは「相対性理論は応用先があったので研究されて然るべきだった」ということではありません。問題にすべきはアインシュタインがこれらの理論を思いついた1910年ごろ、GPSという応用は想定されていたのかということです。人類が初めて人工衛星を打ち上げたのはスプートニクショックの1957年、GPSに搭載されている原子時計と同じ動作原理の時計が最初に開発されたのは1950年です。その40年近く前に果たしてアインシュタイン はこの応用を確信して研究をしていたでしょうか?むしろ、複数の理論を統一的に理解したいという知的好奇心に突き動かされて研究をしていたのではないでしょうか?

基礎研究に対する投資

以上はその理論が研究されている当時は応用があるとは思えなかった、知的好奇心によってのみ動機付けされていた基礎研究が数十年後の現代の技術の基礎になっている例です。ヒッグス粒子や重力波も結局のところ万物に質量を与えているものは何なのか?、あるいはアインシュタイン が予言した時空の細波は本当に存在するのか測定して検証してみよう、と言った知的好奇心によって動機付けされています。筆者の知る限りでは現段階で明確な応用はありません(重力波は天文学に応用されていますが、これが日常生活の役に立つ応用かと言われるとそれは別の問題です)。しかし、100年後、これらの研究のおかげで日常生活に驚くような変化が生まれてさらに便利な世の中が来るかもしれません。もちろん、これは予測にすぎず、現在行われている基礎研究は100年後に何の役に立たなかったという未来が来る可能性も否定はできません。しかし、人類は未来を予測するときに過去がどうだったのかを見ながら予想することしかできません。少なくとも今までは過去の基礎研究が将来的に応用研究に結びついて生活を豊かにしてきました。それだとしたらこの流れが続くと期待して現在の基礎研究に投資するのは妥当ではないでしょうか?資産運用のために株式投資をする人たちは過去数十年間株式投資は利益を上げてきたのでこの流れが続くと信じて投資するわけですよね。何かのきっかけで大暴落して2度と元の値に戻れない可能性だってゼロではないのに。

では、基礎研究に投資する主体としては誰が妥当でしょうか?資産運用のために株式投資をする人たち?彼らは老後の資金あたりを照準にしています。30年でリターンがあれば良いですが、応用ができて100年後にリターンがあるもの、それまでのリターンの有無が不明なものには投資してくれない可能性が高いです。企業?筆者の経済学の理解では企業は所有者の利益のために行動します。現代社会のシステムを見ていると長くても1年ごとに損益を計算して、利益を増やす計画を株主などの所有者に説明しないといけません。未来のためと言って数十年先に応用があるかもしれない基礎研究に多額の投資をすることは難しいかもしれません。大富豪が金持ちの道楽として?一つの答えだと思います。事実中世までの科学の発展は富のある王が原動力になっていた部分があります。錬金術は彼らが金でないものから金を作りたいという欲望から発展し、結局彼らの思っていた形では成功しなかったものの化学の基本操作のいくつかを確立させたと言えます。しかし、現代の大富豪はお金持ちと言えど趣味は人それぞれ、持っている額もたかが知れていて科学の分野全ての発展に寄与できるかと言われれば怪しい部分があります。

結局この答えとして持ち上がってくるのは政府です。例えば日本政府であれば、国が1年に生み出す富の目安であるGDPの20%近くにのぼる100兆円の予算があります。もちろん国民の税金ですから使途の説明責任はありますが、この大規模な予算の一部を挑戦的な研究に使えるだけの余力があります。そして、これまでの例で触れてきたように、基礎研究の応用の結果は国民全員の生活の向上に資するので、十分な期間をおけば巡りに巡って国民を豊かにするという政府の使命とも合致します。

では政府はどういう研究を重視すべきなのか?この答えは基礎研究です。なぜなら、何の役に立つかがはっきりしている応用的な研究は企業でも行われる余地が十分にあるからです。自動運転やAIのような応用目的がはっきりしていたり流行っている分野はみんながこぞってやります。むしろ、地味で当分は日の目を見なさそうではあるけれど技術や知見の蓄積に有用な分野を忘れないようにすべきです。また、予算の配分にあたっては研究者の自由な発想を大切にするべきです。研究者は毎日自分の研究テーマについて考えている人たちです。世界の最新の研究の状況も知っています。そういう人たちだからこそわかる次のホットトピック、意外としっかりと行われていない研究分野というのが存在します。「不老不死の薬を作る」みたいな素人目に見てもわかる壮大な目標を政府の方から提示しないで、自由に研究テーマを選べるようにした方が多様性が増して最終的にはリターンが大きくなる可能性が上がると思います。さらには、突然の研究計画の変更に柔軟に対応できるようにすべきです。予算の申請書を書いている頃に目指していたものが予算が下りる頃には海外の他のグループから似たような結果が出てきたので方向性をちょっと変えたというのもよくある話です。そういうわけで、計画よりも遅れているから予算を切るとか(もともと最初の2年の深度を見て残りの3年の予算の配布を決めるというような約束があれば話は別ですが)、計画と違ったことをできないように装置の使用目的を縛るというようなことをせず、装置が空いているときには他の目的にも使うようにできると言ったように柔軟に対応したほうが投資に対するリターンも増えると思います。

結論

ということで、タイトルの問いに対する結論は「基礎研究に使う予算は増やすべき」です。理由は知的好奇心に動機づけられた基礎研究が最終的には社会を豊かにする応用先が現れる可能性が過去の例を見る限りでは十分にあるからです。民間でこのような予算を出せるところがあれば良いことだと思いますが、まずは国家予算から支給されるというのが理にかなっていると思います。

おまけ

最後に蛇足ですが、このような基礎研究をやっている人に話を聞くことがあれば、「何の役に立つのですか」というのは話を広げるための最善の質問ではないかもしれません。研究者も明確な回答を持ち合わせていないかもしれません。むしろ、素人目にはdisっているように聞こえる「何がすごいんですか?」と聞いてみてください。自分の研究が自然界の理解を深めるいかにすごい研究なのか、熱く語ってくれると思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?