万年筆回顧録『羽毛のタッチ』第四回
四、先生と僕
僕が川口先生と初めてお会いしたのは、2006年〜2007年頃だったと記憶している。その頃、「スローライフ」がどうとやらで、万年筆が静かなブームを呼んでいた(ムック本『趣味の文具箱』のナンバーがまだ一桁台だった頃だ)。PIOTからは色彩雫シリーズが発売されたり、WAGNERの『ペン!ペン!ペン!ファウンテンペン 私が選んだ一本の万年筆』が出版されたり、私の地元に万年筆コーナーを前面に押し出した小洒落た文具店がオープンしたりした。
私は、その文具店の常連客となり、素人同然だった万年筆コーナーの担当者(女の子)に、万年筆のことをあれこれアドバイスしたりしていた。
「今度、うちのお店で初めてSAILORのペンクリニックが開催されるんですよ」ある時、その子が教えてくれた。
担当は、川口先生らしい。先生のことは、ネットのブログや趣味文を読んでよく知っていた。「じゃあ、あれを持ってくるかな」
あれ、とはPILOTのカスタム742(MSニブ)のことだ。その小洒落た文具店で購入したものの、インクスキップが発生して書けず、PILOTに送って見てもらったのだが、「異常なし」としてそのまま返却された一本だった。
正直なところ、そのPILOTカスタム742の件は、半分諦めかけていた。というのも、その半年前に、ナガサワ文具センター(本店)までわざわざ出向いて、満を持して購入したPelikanスーベレーン シルバートリムM805 ブラック(Mニブ)がやっぱり書けず、Pelikan Japanとの半年間に渡る直接交渉の末に、ようやくまともなニブと交換してもらうというアクシデントの直後だったからだ。僕は、疲れ切っていたのである。
ペンクリ当日、小洒落た文具店の店内に設置された横長の折り畳みテーブルの向こうに、川口先生は座っていた。
川口先生とは?
順番の列に加わっていた僕に向かって、万年筆担当の女の子がカウンターの奥からエールを送ってくれた。
僕の前に並んでいた人は、インクを万年筆に入れたまま長年放置していたらしく、内部でインクが固まってしまっているようだった。川口先生は、おもむろに音波洗浄機の中に万年筆を突っ込んだ。
僕も音波洗浄機を持っている。が、当時交際していた彼女のメガネを洗浄した際に、セルフレームがひん曲がって、フレームからレンズが飛び出してしまうというトラブルに見舞われて以来、怖くなって万年筆への使用を控えていた(メガネは弁償させられた)。
僕の前の人のペンは、ひん曲がることもなく、無事に復活したようだった。先生は、ラッピングフィルムにペン先を擦りつけて微調整をなさった後、「これで書いてみて」と仰った。
「ありがとうございます。ちゃんと書けます」
僕の前の人は、先生にお礼を述べてから、その場を後にした。
いよいよ僕の番がやって来た。
僕は、パイプ椅子に腰掛けて、インクスキップするPILOTカスタム742のことを先生に打ち明けた。
先生から、「書いてみて」と言われたので、僕は目の前に用意されたメモ用紙に向かって、ちょろちょろと文字を書いた。
カスタム742を先生に手渡すと、先生はルーペでペン先を調べてから、くるくるとペン先をラッピングフィルムに擦りつけた。そして、「これで書いてみて」と仰った。
僕は内心、「先生が発する言葉は、〈書いてみて〉ばっかりだな……」と思いながら、カスタム742を受け取って、ノートに文字を書いた。
半ば諦めかけていたPILOTカスタム742が、見事に復活を遂げていた。僕は、先生にお礼を述べてから、万年筆担当の女の子の所へ行き、彼女と共に喜びを分かち合った。
以上が、記念すべき「川口スペシャル万年筆(1本目)」の誕生の経緯である(これ以後、書けない万年筆は全て川口先生の手に委ねることになる)。
次回、「あのKING OF 万年筆(書けない)VS 川口先生」を乞うご期待!
【追伸】
後年、Pelikan万年筆(Mニブ以上)のペン先の「研ぎ」が角研ぎから丸研ぎに変更されたという報を受け、「これで、僕と同じような悲劇に見舞われる人が一人でも減ったらいいな」と安堵すると同時に、少々残念な気持ちになった。というのも、僕は「角研ぎこそがPelikanの魅力だ」と思っていたからである。
角研ぎが丸研ぎになってしまった原因の一端は――Pelikan Japan相手に半年間も食い下がった――僕にあるのかもしれない。
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