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万年筆回顧録『羽毛のタッチ』第三回

三、書けない万年筆とインク沼

「旨いものをみるとキクマサが欲しくなり、 辛口のキクマサを飲むと、旨いものが食べたくなる。」
 懐かしの菊正宗のCMのフレーズだ。
 このフレーズに万年筆を当てはめると次のようになる。
「万年筆を集めると字幅を太くしたくなり、字幅を太くすると、多彩なインクを呑ませたくなる。」
 この領域に踏み込むと、色々と大変なことになる。今回はその大変なことについて記そうと思う。

 初めての万年筆を購入する時、大抵の人は「F(細字)」か「EF(極細字)」を選ぶのではないかと思う。これ以上の太さのペン先を選ぶと、ノートや手帳に漢字を書く際に文字が潰れてしまうからだ。
 しかし、書き味は字幅の太さ――イリジウムの大きさ――に比例する。EFよりもF、FよりもM、MよりもBニブの方が書き味が良くなるのだ(ヌルヌル度が高くなると言い換えてもいいかもしれない)。ちなみに、万年筆界では、「細字から中字へ、中字から太字へと興味が移った後に、再び細字に戻る」と言われている。実際、僕もそうだった(今はまた、太字に寄りはじめている)。
 字幅が太くなると、細字を使用していた時とは違う感覚が芽生える。インクの濃淡が気になり始めるのだ。紙に染み込んだインクは、書き始めは色濃く、書き終わるにつれて薄くなる。その濃淡を楽しみたいが故に、様々な種類のインクを買い求める。これが、俗に言う「インク沼」だ。
 が、ここに一つの難関が待っている。多くの場合、万年筆メーカーは他社製のインクの使用を禁じている。その禁を犯した場合、保証対象外になると謳っているのだ。この問題をどう捉えるかは人それぞれだろうが、僕は基本的には万年筆メーカーと同一メーカーのインクを使用する派だ。すると、「P社製のインクを使いたいから、P社製の万年筆を買い求める」というふうに、購入順序が逆転する。つまり、「インクせん」になるのだ。
 更に僕は、一度ペンに吸引させたインクの色は変えない派だ。変えたくなったらインクと共に別の万年筆を新たに買い求める。
 万年筆は洗浄することも出来るが、「洗浄によって元々使用していたインクを、ペン芯から完全に払拭させられるか」、という問いに答えるとするなら、答えは「かなり難しい」ということになるだろう。しかしこの辺は、ほとんど「気持ちの問題」でもあるので、なかなか判断が難しいところだ。
 僕も、安価な万年筆であれば気安く色を入れ替えることもあるし、また、インクの性能(粘度とpH値)によっては、色の変更を許可する場合もある(例えば、SAILOR製のインクの場合は他のSAILOR製のインクに変更可、というようなマイルールを設けている)。インクについては、「絶対にこうでなければならない!」ということはないので、各々の流儀があってもいいのではないか、と思う。

タキオンのインク沼

 さて、真打ちは最後にとってある。
 万年筆道に足を踏み入れるにあたって最も大変なことは、字幅を沢山そろえたくなるとか、インクを沢山集めたくなるとか、ペンとインクの組み合わせに縛りがあるとか、色を変更するのにも気を使うとか、そんな些細なことではない。
「万年筆は、買ったはいいが、まともな文字が書けない場合がある」という、他の製品であれば「初期不良」と呼んでも差し支えない現象が、万年筆界においては不良として認められない、という問題について触れておこうと思う。
 万年筆は、一度インクを吸入してしまったら、使用済み扱いにされる。しかし、インクを吸入してみないことには、文字を書くことが出来ない(つけペンの要領で、ペン先にインクをつけて筆記することは出来る。が、それではその万年筆本来のインクフローは分からないのだ)。
 で、実際に試し書きしてみる。
 インクスキップが発生して、まともな文字が書けない。以後、最初の一文字――書き出し――が必ずかすれる。
 このような状態の万年筆を、販売店に持ち込んだとしても、大抵の場合、その万年筆は正常だと診断される。直接メーカーに相談したとしても、「既に使用済みだから」という理由で返品を拒まれる。
 この連載の第一回目の冒頭に、「私は万年筆を30本以上持っている」と言った。今述べたインクスキップ現象が発生した万年筆は、1本や2本ではない。体感として、約3分の1の個体に、このインクスキップ現象が発生した(特に中字から太字にかけて、また特殊ニブにおいてインクスキップが発生しやすい)。ちなみに、もう3分の1は初手からインクフローが渋い個体だった。正常だったのは、残りの僅か3分の1の個体だけである。
 万年筆店の中には、店主が事前に調整を施した個体を売っているお店もある。そのようなお店で万年筆を購入すれば安心だが、そういうお店は、片手で数えられるほどしか存在しない。
 ペンクリニック(通称ペンクリ)なる催しに万年筆を持参して、ペンドクターに調整をお願いするという手もある。が、いつ、どこで開催されるのかが分かりにくいし、そもそも、初期不良の万年筆にそこまで情熱をかけられる人が、この世に一体何人いるだろうか? 大人ならまだしも、子供だったらお手上げだし、それがプレゼントとして人から貰った万年筆だった場合は? 贈り主に文句を言う訳にもいかない。つまり、結局は泣き寝入りするしかないのである。
 万年筆は、購入するにあたって、それなりの覚悟を要する文具であり、工業製品として、いまだに未熟なアイテムであることが、お分かりいただけたであろうか?(だから衰退の一途を辿っているのだ)
 次回は、「私が実際に初期不良の数々をどうやって克服したのか」をお伝えしようと思う。涙なしには語れない、執念の万年筆物語を乞うご期待!

お手製のインク色見本帳の一部
PILOT BLUE BLACK が一番のお気に入り
ヤンセンのROBERT LOUIS STEVENSON、いい色ですよね
WATERMANのBLUE BLACK は旧タイプです
ヤンセンのDANTE、惚れ惚れします
まだありますが、今回はひとまずここまでにします
お手入れ大好き

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