vol.6 ピンチヒッターの女②
暴風が吹きあれる、下町浅草国際通り。
田原町駅3番出口。地上に出る階段付近で、
僕はSさんを待っていた。
東京メトロ銀座線の乗降客の波が来ては、過ぎ去る。その繰り返し。
手前味噌だが、僕は人を待つのが好きである。人の波が過ぎ去ってはまた来る。その繰り返し。
そして何より僕はSさんの顔を知らない。一方でSさんはタップルの中での僕の顔を知っている。
顔の知らない人を待つ、約束の時間まであと少し、ただひたすら前を向き、待ち続けるだけ。
かれこれ何十回目かの人の波、するとこちらへ向かってくる女性が、紫のワンピースに黒いジャケットを着た和風美人。
「Slothさんですか?お待たせしました」とSさん。「いえいえ、こちらこそ急に誘ってしまいごめんなさい」と僕。
とりあえず浅草ホッピー通りを目指し、並んで歩いた。
暴風もさることながら、雨も本降りに変わっている。それぞれ傘を差した。
Sさんと歩きながら、前回(vol.4 軟骨ピアスの女さん)のアポがリスケになってしまったことなど、これまでの経緯を冗談まじりに伝えた。
色白でなめらかな肌、切れ長な印象的な瞳と、目尻にあるホクロ。
目の前のピンチヒッターの和風美人Sさんは、僕のリスケエピソードを上品に、時に微笑みながら聞いてくれた。
そんな姿がとても愛おしかった。
絶望の淵からのカムバック。地獄のマグマだまりからの生還。
5分ほど歩き、ホッピー通りに到着。
ホッピー通りで唯一、生ホッピーが飲める居酒屋に入る。カウンター席に通してもらった。
Sさんはビールが苦手とのことでハイボール、僕は生ホッピーの白を注文。ほどなく乾杯をした。
まずは軽く自己紹介をしあう、そういえば名前聞いてなかったですねーって、Sさんの下の名前を聞いた。
とても可愛らしいく、綺麗で和風美人に合ったお名前だった。
「でも◯◯さんって、呼ぶには堅苦しくて
だけども◯◯ちゃんにすると、なぜだか恥ずかしい、そんな名前ですね」って僕が言う。Sさんは「呼び捨てでいいですよー」って返してくれた。
お料理をオーダーする。
Sさんに好きな食べ物を聞いてみたら「モツ煮」予想外な答えが返ってきた。
その他に焼鳥、つぶ貝の煮物もオーダーする。
僕は喉が渇いていた。かれこれ30分近くSさんを待っていたのもあるが、今日これまで浅草で自分に起きたジェットコースターのような出来事、もう喉がカラカラだった。
生ホッピーのお代わりを注文する。この渇きは飲んでも飲んでも満たされないことを、僕は知っているのに。
Sさんも順調に飲んでいる。少し茶色く肩まで伸びた髪をハーフアップしていて、横を向いた時に見える頸(うなじ)が時々見える、その度に全身の血液が股間に集まるのを感じる。
そこからはお互いの仕事の話、趣味の話。共通の話題は無かったので、そこそこの盛り上がり。どちらかといえばSさんの話を深掘りして共感するイメージ。
そしてSさんの恋愛の話になった。
Sさんには1度離婚歴があり、5年ほど前に離婚、子供はいないとのことだった。
そして離婚を機にお酒にハマり、よく野毛あたりでのんでいるとのことだった。
お互いお酒が進み、会話もそこそこ盛り上がっている。
僕は少し、Sさんとの距離を詰めてみた。
カウンター席に2人で横並び、Sさんの右膝と僕の左膝が触れるか触れないかの距離、
また、お互いのグラスの距離にも意識を向ける。
Sさんのグラスに、僕の生ホッピーを近づける。Sさんは拒まなかった。僕の右膝をSさんの左膝にくっつけてみる…。Sさんの体温が伝わってくる、生暖かく優しい心を感じる。
時刻は15:30、軟骨ピアスの女さんと行くはずだったワインバーの予約時間が迫っている。
「2件目行かない?」と僕が聞くと、Sさんはニコニコしながら肯定してくれた。
ワインバーまでは徒歩5分ほど、ホッピー通りから浅草の西側を目指し歩く。
2人で並んで歩きながら、冒頭のSさんの名前の話。
「さん付け」で呼ぶには堅苦しくて、でも「ちゃん付け」にすると、恥ずかしくて、でもとても可愛い名前だね、ってそう伝えた。
Sさんは恥ずかしそうに「呼び捨てでいいよー」って答えてくれた。
僕は本気で何て呼ぼうか迷ったし、色んなパターンで呼んでみたら、確かに呼び捨てが一番しっくりきたのだった。
西浅草のワインバーに到着、こちらのお店は15時〜17時までの間ハッピーアワーと称してメニューリストのグラスワインが全て半額で飲むことができる。
まだ飲み足りないですね、ってまずはスパークリングを2杯頼み乾杯。カウンター席で横並びに座りながらシャンパングラスを傾ける。
薄暗い店内、小気味良いジャズが流れる。先ほどのホッピー通りとのギャップが良い。
おつまみには前菜の盛り合わせ。
パテやピクルス、キッシュ、ドライトマトのカプレーゼ、チーズが数種類、どれもワインに合う。
さらに気分が良くなった僕はオレンジワインを注文。Sさんは白ワインのグラス。
Sさんがジャケットを脱ぐ、紫の半袖のワンピース。露になった二の腕、細すぎざ太すぎず。ほのかに香る香水、Sさんの汗の匂いも混じった香りを嗅ぎながらワインを嗜む。
僕はお酒を飲むと異常にトイレが近くなるのだが、Sさんも負けじとトイレが近かった。
そんな話でも盛り上がった気がするが、もうこのあたりからどんな会話をしたか、ワインをあと何杯飲んだとかは覚えていない。
ただすごく覚えているのは、トイレの近いSさん。そしてトイレから戻ってくると、伏目がちに考えごとをするようなシーンが時々あったこと。とにかくトイレが近いSさん。
目の前のグラスが空になっている。もうどっちのグラスかも分からない。僕は目の前の空のグラスで、Sさんのオシッコが無性に飲みたくなった。ただそんなことを考えていた。
お会計を済ませ、ワインバーを出た。
たぶん18時くらい。
僕が「まだ時間ある?」と聞くと「うん」とSさん。
店を出るなり手を繋いでもSさんは拒まなかった。手のひらが汗ばんでいた。「もう少しだけ一緒にいたいな」と僕が言うと、Sさんは頷いた。
今朝、一生懸命調べたラブホテルまでの道のり。Sさんと手を繋ぎながら、千鳥足でゴールを目指す。
目の前に一軒のラブホテル、僕が「いい?」って聞くと頷くSさん。
Sさんと手を繋ぎながら少し猫背気味にHOTEL EDOYADOに吸い込まれるように入った。
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