お父ちゃん
今週の日曜日に、カープのチケット2枚を会社の社長から頂いたので野球好きの父親を誘って連れて行ってあげようかと思っている。
42歳の僕が父親とサシで野球を観に行く事はこれが初めてだ。
折角なので、ここで自分が覚えている父親のエピソードをつらつら書いてみよう。
現在65才の父は昭和28年、大阪の駄菓子屋で2人兄弟の次男として生まれた。
父がまだ赤ちゃんの頃に実母が不治の病で亡くなり、その後、酒癖の悪かった実父(本当の僕の祖父)が、酔っ払って道路で寝ている所を車に轢かれ、父は両親を失う事となり、亡くなった実父の長男である、じいちゃんに貰われ瀬戸内海の漁師町(1周10㎞、信号も亡く、コンビニも無い小さな島)で育った。
幼い頃、漁師のじいちゃんの家に貰われた父は、その当時漁業が盛んで漁師は皆儲かっていて比較的苦労の無い生活をさせて貰ったと聞いた。
ただ、この島の漁師は夫婦で1艘の船で漁に出ると、お盆と正月にしか家に帰らないため、その間知り合いの他所の家に預けられ、ご飯のおかわりにも気を遣い自分の家ではない為、その家の人の顔色を見て生活するのが常だったらしい。
因みに、それならまだ良い方で一緒に島に来た兄は何故か、じいちゃんの家ではなく、学寮といって身寄りが無かったり漁に出た親が預ける施設に入れられていた。
父は中学生になるまで、じいちゃんばあちゃんを本当の両親だと思っていたらしく、実はそうではないというのを聞かされた時は天地がひっくり返った様だったと言っていた。
それから、学も無く悪ガキだった父は中学を卒業後、島の建設会社に入りギャンブルや酒を覚え、そういう暮らしをしていた。
そこで、いつまでもそんな事ではいけないという事で、じいちゃんが見合い話を持ち寄り22才の頃、2つ下の今の僕の母親と結婚し、それから間もなく僕が生まれた。
僕の幼い頃の父の記憶としては、大工をしていた父は小柄ながら筋肉隆々で(ちょうど当時全盛期の千代の富士を2周りくらい小さくしたようなイメージ)、だけど仕事がない日は朝から酒を飲み、そのせいか顔は青白く飲み過ぎたら物を投げたり、喧嘩したり暴れたりして酔狂する、そんな父親だった。
当時の痩せて青白い顔は、小さい頃の僕には怖かったな~笑
その頃の母親の日記を見て驚いたのが、‘’今日、◯◯さん(父)が、2週間ぶりに仕事に行ってくれた。嬉しかった。‘’ と書いてあった。。。
仕事行くのは当たり前だろ!笑 そして、そこの2週間ぶりで喜ぶなよ母よ!(貧しかった母が、一生懸命定時制高校で、働きながら卒業して貯めた100万程のお金を、結婚して半年で、父は酒やギャンブルで使い果たしたらしい)最低、最悪だな。。。
それでも、僕にとっては初めて近くで見る大人の男だし、母は泣いたりするシーンが多く弱いイメージがあって、男として生まれた僕には母の感覚はしっくり来ず、この家を守れる力があるのは酒を飲んで暴れはするけれど、
その力を持った人間はこの男だ!
この男の行動を見て俺もいつかこの男の様に力を持った男になろう!と観察し、そんな荒くれ者の父でも恐いながらに少し格好良いとも思っていた。
お父ちゃん②に続く