見出し画像

走り込み万能薬説(未だに!?)

「走り込み」
この言葉にはどれだけ悩まされたことだろう。

誤解のないようにしたいのは、ランニング自体は必要な練習だと考えています。「質」、「量」、「タイミング」、「個別性」をしっかり吟味すれば選手にとって非常に大切な強化メニューのひとつと言えます。

私がプロに入った1989年は、ウエイトトレーニングに否定的で、とにかく野球選手には「走れ!走れ!」の時代でした。選手が何らかの理由でスランプに陥ると「走り込みが足らんからだ!」「もっと走り込ませろ!」と。

何らかの理由でスランプになったのだから、その何らかの理由を追求して改善しなければいけないのに、全て一括りにして「走りこめ!」という指導者が非常に多く、フィジカル面を預かる私としては悩みの種でした。

当時、走り込みは何にでも効くという「走り込み万能薬説」がまかり通っていたのです。ある年、投手陣の不調をいつものように「走り込みが足りないからだ」と言われた時、私はその指導者に勇気を出して聞きました。「他球団がどれくらい走っていて、うちはどれくらい走っているかご存知ですか?」と。

それがわからないと、何を基準に足りないとなるのか?となるわけです。もちろん、その指導者は、他球団のランニングメニューを知るどころか、自チームの投手陣のランニングすら一度たりとも見た事がないので知る由もありません。口籠ってしまい、返答できませんでした。

さらに私は「走り込み」の「込み」というのは一定の質と量を越えて初めて「込む」と言えるので「何メートルを何本以上走れば走り込んだことになるのですか?」と聞いてみました。すると、その指導者は怒りに任せて「何メートルとか何本とかではなく、とにかく走りまくるんだ!」と言うのです。このように往々にして、この「走り込み」という言葉に実体はありません。

昨今、文化や科学が著しく進化し、スポーツ医科学も大きく発展しました。それに伴って選手を強化する方法や、器具などの進化、開発、さらには新たな発見がなされています。それらをしっかり学べば多くの選択肢が生まれます。

選手がスランプに陥った時、選手と指導者、コーチたちは一緒になって様々な角度からその要因を考え、答えを見つけ、改善法を実践していくことが必要です。ところが、自分が選手時代にしていたことのみを信じる進歩のない指導者は自分がそうすることで成績を残したのだからただただ走れと言う。これでは、選手は育ちません。

こういう独りよがりの指導者の知識は3、40年変わることなく、それでいて、年月を重ねたことで権力だけは増大してしまった。こんな指導者の下では、元来図抜けた能力のある選手しか活躍できないでしょう。その結果、多くの選手たちは被害者になってしまいます。

これは電子レンジの無い時代に青春時代を送った人が、今の選手たちが電子レンジで食べ物を温めてより美味しく食べているのを見て、「そんな物は使うな!ちゃんと火を起こして食べろ!」と言っているようなものでしょう。しかし、そういう人も実際ご自分は火など起こさず、電子レンジを使っているのです。

選手に対して「走り込み不足」と口に出来るコーチというのは、その選手が今どれくらいのランニングメニューをこなしていて、他の選手や他チームの調子の良い選手がどれくらいの「質」と「量」のランニングをしているかを熟知しているかということ。

そして、走るという事以外の多くの選択肢、方法を知っているしっかり学んだ人が、最終的に熟考の末に、この選手はランニングが足りないと判断した場合、「走り込みが足りない」はようやく口に出来る言葉なのです。

深い見識もなく、簡単に誰にでも「走り込め!」と言っている指導者がいまだにいるのであれば、それはまったく無知無学の人と言ってしまってもよいと私は思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?