![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150832806/rectangle_large_type_2_e340ee35bf95829c570a7ed0d4f0d5d3.jpeg?width=1200)
「不惑」?いやぁ、無理無理。
「不惑」
大人になって知った言葉です。
「不惑?惑わず?どういう意味?」って
はじめなってたんですけど、
調べたところ
『論語』に書かれた、孔子の言葉なんですね。
これは孔子が自らの一生を振り返って、
その人間が出来上がっていくプロセスを述べた文章のようです。
以下。
子曰(し いわ)く、
「吾十有五(われ じゅうご)にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」。
『大人の語彙力が身につく本』より、以下に解説文を引用します。
「15歳のときに学問を志した孔子は、30歳でその道で独り立ちし、40歳になって進む道に迷いがなくなったわけです。50歳で自分の天命*を悟り、60歳で人からの忠告などを素直に聞けるようになり、70歳には、自分の心の思うままにふるまえば、それが適切である状態になりました」
ということなんだとさ。
私はこれについて常々思ってるんですが、
「三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。」
って、現代社会で無理くない?
「私、44歳だけど、惑いまくりなんだけど」とハセ思う。
だからね、
現代の多くの人って
「30にして立てず、
40才にして惑いまくり、
天命を知らない50才」と思ったわけ。
ただ、孔子さんの時の時間の物差しと現代のとでは
おそらく全然違うはず。
とりあえず、
44歳の私は
「『40にて不惑』は、いやぁ、無理無理。」と
白旗を一旦上げて、
惑いまくる自分も、
まぁ、ちょっと可愛らしいんじゃない?
と、スーパードライを飲み干すわけです。